大同生命肥後橋ビル |
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情報 |
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用途 |
事務所 |
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設計者 |
ヴォーリズ建築事務所 |
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構造設計者 |
内藤多仲 |
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施工 |
竹中工務店 |
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建築主 |
大同生命保険 |
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事業主体 |
大同生命保険 |
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構造形式 |
鉄筋コンクリート構造 |
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敷地面積 |
670坪8合9勺 |
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建築面積 |
551坪3合2勺 |
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延床面積 |
4,249坪9合5勺 |
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状態 |
解体 |
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階数 |
地下1階、地上8階、塔屋1階 |
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高さ |
軒高約31メートル(100尺) |
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着工 |
1922年(大正11年)10月4日 |
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竣工 |
1925年(大正14年)6月6日 |
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解体 |
1990年(平成2年) |
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所在地 |
〒550-0002 大阪府大阪市西区江戸堀一丁目2番1号 |
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大同生命肥後橋ビル(だいどうせいめいひごばしビル)とは、かつて日本の大阪府大阪市西区にあった建築物である。大同生命館、大同生命ビル、大同ビルとも称された。
大同生命保険会社により本社社屋として建築が企てられたもので、用地は大同生命創立者たる広岡久右衛門の邸があったかつての大阪府大阪市西区土佐堀通一丁目1番(現・大阪府大阪市西区江戸堀一丁目2番1号)の地である。建築設計はヴォーリズ建築事務所、構造顧問は内藤多仲に委嘱とされた。この計画に当たって、ヴォーリズと大同生命広岡恵三社長は1920年(大正9年)4月より8月までの間、アメリカへの視察旅行を行い、当地において幾多の生命保険会社を見学したのであった。
建設は1922年(大正11年)10月4日着手された。然るに工事途中突発した関東大震災をふまえ、暫時工事中止の上、耐震の向上のため当初計画の10階建てを9階建てにするなどの設計変更が加えられることを経て、1925年(大正14年)6月6日落成した。
このビルを大同生命が本社としたことはもとより、広岡家が掌握する加島銀行や広岡合名会社などの各社が居を構えたのであった。第二次世界大戦での日本敗戦後の混乱期に入ると、アメリカ占領軍による施設の収奪が近隣の住友ビル(現 三井住友銀行大阪本店ビル)や大ビルになされる中、本ビルは収奪を免れた。そうしたこともあり、当時本店のそごう大阪店を接収されていた十合百貨店(そごう)は、大阪府の斡旋により1946年(昭和21年)10月1日から当館の1階および2階を賃借して臨時の本店とした。そして2階を本部事務所としたうえ、1階には同年11月1日より1950年(昭和25年)9月まで「そごう卸商品館」と称する店舗を、同年10月よりは「十合大阪ユニバーサル・ストア」と称する在日外国人向けの店舗を運営する運びとなった。これは大阪店の接収解除による復旧により1952年(昭和27年)3月をもって閉鎖となった[1]。このほか石原産業にも賃貸された。
大同生命は1972年(昭和47年)新本社社屋を大阪府吹田市江坂に完成させ、同地に移転したが、それ以後も当館は引き続き同社社屋として維持された。
時勢は移り、同社は当館解体撤去の上、跡地に新本社社屋(現・大同生命大阪本社ビル)を建築して、再び当地に本社を復旧する計画を1987年(昭和62年)7月発表し、1990年(平成2年)当館の取り壊しに着手した。
関連項目
出典
- ^ 『株式会社そごう社史』 343-359頁
参考文献
- 『建築雑誌 第三九輯 第四七七號』 建築學會、大正14年(1925年)12月。
- そごう社長室弘報室編 『株式会社そごう社史』 そごう、昭和44年(1969年)。
- 大同生命保険編 『大同生命七十年史』 大同生命保険、昭和48年(1973年)。
- 大同生命肥後橋ビル建築調査委員会企画・編集 『テラコッタの装い-大同生命肥後橋ビルの記録』 大同生命保険、1990年6月1日。
外部リンク