夜叉ヶ池(やしゃがいけ)は、福井県南条郡南越前町にある池。岐阜県揖斐郡揖斐川町との境界付近に位置する。龍神伝説が伝えられている[5]。1986年に「岐阜県の名水50選」[6]と「飛騨・美濃紅葉三十三選 」に選定された。
福井県南条郡南越前町(旧今庄町)と岐阜県揖斐郡揖斐川町(旧坂内村)との境の、夜叉ヶ池山と三周ヶ岳との鞍部である標高1,099 mの稜線直下北西側に位置する[2]。周囲は原生林におおわれている。数十万年前に起きた地滑りによってできた窪地に雨水や周辺の山からの伏流水が溜まり、池になったと考えられている。
池からの河川の出口がなく、伏流水となって周辺に湧き出でるため[5]、九頭竜川水系日野川の支流である岩谷川の源流部に位置する[7]。
夜叉ヶ池の固有種であるヤシャゲンゴロウが生息し、環境省[9]と福井県[10]によりレッドリストの絶滅危惧I類の指定を受けている。またモリアオガエル、クロサンショウウオ、アカハライモリなどが生息し、魚類は生息していない[5]。ヤシャゲンゴロウは、モリアオガエルやクロサンショウウオのオタマジャクシやトンボのヤゴなどをエサとして、池の生態系の頂点に立つ[5]。
アカモノ、カタクリ、ミツバツチグリ、トクワカソウ、ニッコウキスゲ等中部地方の低山でありながら亜高山植物が多い。池の西畔には2004年9月に木道が整備され[11]、生物の生息環境が保護されている[12]。
昔より、雨乞いが行われていた池であり、畔には奥宮夜叉龍神社がある。
岐阜県揖斐郡揖斐川町の池ノ又林道終点の夜叉ヶ池登山口駐車場から[8]約3km(徒歩約90分)。登山道には険しい箇所もあり、稜線直下名の急な岩場の斜面にはロープが設置されている。福井県側からも岩谷林道終点から登山道が整備されている[12]。積雪期には登山口への林道は冬期閉鎖され、適期は6-11月ごろ[11]。
夜叉ヶ池の位置は、昔より美濃国(岐阜県)と越前国(福井県)のどちらが所有するかで争いが発生している。1875年(明治8年)、両県の立会いのもと検分が行われ、夜叉ヶ池の住所は坂内村大字川上字池之又986番地とされ、岐阜県に属することとなり、1880年(明治13年)には公式の地図もそうなった。しかし、1909年(明治42年)に陸地測量部(日本陸軍の地図作成部署)がこの地域を測量し、その結果を1913年(大正2年)に公式の地図に記載したさいは、両県の県境は分水嶺の稜線を引いたため、夜叉ヶ池は福井県側に属すこととなる。現在国土地理院の地図では福井県南条郡南越前町になっているが、岐阜県側は1875年の検分結果を主張し、福井県側は1909年の測量結果を主張している。
雨乞いのための生贄として龍神に嫁ぐ話が最も一般的で、越前・美濃・近江の3国に分布しているが、固有名詞の具体性などから、そのルーツは美濃国(岐阜県)安八郡であろう[13]。
817年(弘仁8年)、この年の美濃国平野庄(現岐阜県安八郡神戸町)は大旱魃に見舞われ、あらゆる作物は枯れる寸前であった。ある日、郡司の安八太夫安次は、草むらの中に小さな蛇を見つけ、ため息まじりで、「もしそなたが雨を降らせるのなら、私の大切な娘を与えよう」と語った。 するとその夜、安次の夢枕に昼間の小蛇が現れ、「私は揖斐川上流に住む龍神だ。その願いをかなえよう。」と語った。すると、たちまちのうちに雨雲がかかって大雨が降り、作物は生き返り村は救われた。 翌日、約束どおり娘をもらう為、小蛇(龍神)は若者の姿に変えて安次の前に現れた。安次には3人の娘がいたのだが、安次が娘たちに事情を話すと、一番心がやさしい次女(三女の説もある)が、「村人を救っていただいたからには、喜んでいきます。」と答えた。驚いた安次は、「何か必要な物はないのか。」と問うと、娘は、「今、織りかけの麻布がありますから、これを嫁入り道具にいたします。」と答えた。 こうして娘は龍神の元へ嫁ぐことになり、麻布で身をまとい、若者(龍神)と共に揖斐川の上流へ向かっていった。 数日後、心配した安次は、娘に会う為に揖斐川上流へ向かった。やがて、揖斐川上流のさらに山奥の池に龍神が住むという話を聞き、その池にたどり着いた。安次は池に向かい、「我が娘よ、今一度父に姿を見せておくれ。」と叫んだ。すると、静かだった池の水面が波立ち、巨大な龍が現れた。龍は、「父上、これがあなたの娘の姿です。もうこの姿になったには人の前に現れる事はできません。」と告げ、池の中に消えていった。 池の畔にあった奥宮夜叉龍神社 安次は龍となった娘を祀るために、池のほとりと自宅に、龍神を祀る祠を建てた。 この娘の名を“夜叉”といい、池の名を娘の名より“夜叉ヶ池”と名づけたという(娘の名は不明で、後から池の名から“夜叉”とおくられたとの説もある)。
817年(弘仁8年)、この年の美濃国平野庄(現岐阜県安八郡神戸町)は大旱魃に見舞われ、あらゆる作物は枯れる寸前であった。ある日、郡司の安八太夫安次は、草むらの中に小さな蛇を見つけ、ため息まじりで、「もしそなたが雨を降らせるのなら、私の大切な娘を与えよう」と語った。
するとその夜、安次の夢枕に昼間の小蛇が現れ、「私は揖斐川上流に住む龍神だ。その願いをかなえよう。」と語った。すると、たちまちのうちに雨雲がかかって大雨が降り、作物は生き返り村は救われた。
翌日、約束どおり娘をもらう為、小蛇(龍神)は若者の姿に変えて安次の前に現れた。安次には3人の娘がいたのだが、安次が娘たちに事情を話すと、一番心がやさしい次女(三女の説もある)が、「村人を救っていただいたからには、喜んでいきます。」と答えた。驚いた安次は、「何か必要な物はないのか。」と問うと、娘は、「今、織りかけの麻布がありますから、これを嫁入り道具にいたします。」と答えた。
こうして娘は龍神の元へ嫁ぐことになり、麻布で身をまとい、若者(龍神)と共に揖斐川の上流へ向かっていった。
数日後、心配した安次は、娘に会う為に揖斐川上流へ向かった。やがて、揖斐川上流のさらに山奥の池に龍神が住むという話を聞き、その池にたどり着いた。安次は池に向かい、「我が娘よ、今一度父に姿を見せておくれ。」と叫んだ。すると、静かだった池の水面が波立ち、巨大な龍が現れた。龍は、「父上、これがあなたの娘の姿です。もうこの姿になったには人の前に現れる事はできません。」と告げ、池の中に消えていった。
安次は龍となった娘を祀るために、池のほとりと自宅に、龍神を祀る祠を建てた。
この娘の名を“夜叉”といい、池の名を娘の名より“夜叉ヶ池”と名づけたという(娘の名は不明で、後から池の名から“夜叉”とおくられたとの説もある)。
安八太夫安次の子孫は現在も岐阜県安八郡神戸町に健在であり、今は石原姓を名乗っている。石原家はもとは当地の神主・司祭であり、夜叉ヶ池伝説はもともとこの石原家の由来を説く祖先説話だったと思われる[13]。
岐阜県安八郡神戸町大字安次にある自宅には、安八太夫安次と夜叉を祭る夜叉堂がある。夜叉堂参拝する際、個人宅の為、事前に連絡し予約が必要である。
また、夜叉姫は、夜叉龍神社にて夜叉龍神という名で祀られている。
福井県にも良く似た伝説がある。こちらの伝説では、越前国南条郡池ノ上の弥兵次という豪農が主人公である。内容は岐阜県側に伝わる伝説とほぼ同じである。
福井県にはこのような後日談も伝わる。
龍神にはもともと、美濃から嫁いできた雌龍の妻がいたが、龍神が生贄の娘を得て以来、夫婦仲が悪化した。龍神は一計を案じて、大蛇に化して湯尾峠に横たわり道を通れなくした。 ある日、江戸へ向かう加賀藩の武士が、大蛇を跳び越えて走り去ろうとしたところ、大蛇は山伏に化して「私を跳び越える度胸のある者を探していた」と話しかけた。そして「私は夜叉ヶ池の龍神だが~(これまでの経緯の説明)。2匹の雌龍が蝶に化して争うとき、腹の赤い蝶(龍神は明言しないが元々の妻)を弓で射止めよ」と頼んだ。 武士は南条郡堺村広野(現 南条郡南越前町広野)で10日ほど弓矢の練習をしたのち、夜叉ヶ池に行って腹の赤い蝶を射止めた。武士は帰るときに、広野で世話になった的場という家に弓を置いて行った。この地が龍崎的場であり、現在も弓が伝わるという。
龍神にはもともと、美濃から嫁いできた雌龍の妻がいたが、龍神が生贄の娘を得て以来、夫婦仲が悪化した。龍神は一計を案じて、大蛇に化して湯尾峠に横たわり道を通れなくした。
ある日、江戸へ向かう加賀藩の武士が、大蛇を跳び越えて走り去ろうとしたところ、大蛇は山伏に化して「私を跳び越える度胸のある者を探していた」と話しかけた。そして「私は夜叉ヶ池の龍神だが~(これまでの経緯の説明)。2匹の雌龍が蝶に化して争うとき、腹の赤い蝶(龍神は明言しないが元々の妻)を弓で射止めよ」と頼んだ。
武士は南条郡堺村広野(現 南条郡南越前町広野)で10日ほど弓矢の練習をしたのち、夜叉ヶ池に行って腹の赤い蝶を射止めた。武士は帰るときに、広野で世話になった的場という家に弓を置いて行った。この地が龍崎的場であり、現在も弓が伝わるという。
今庄には他にこのような物語もある。
母と2人で暮らす娘の元に、夜叉ヶ池の蛇が人間の男に化けて夜な夜な通った。娘が次第に痩せてくるので母が問いただすと、娘は「台所の水を流す口から男が出てくる」と言った。そこで、男が夜眠っている間に、男の着物に麻糸を縫い付けさせた。夜が明けて、糸をたどっていくと、夜叉ヶ池で蛇が死んでいた。その後、娘を菖蒲湯に入れると、たくさんの蛇の子を死産した。
この物語は日本各地に分布する「蛇婿入」物語の一種であり、記紀神話でタマヨリビメが三輪氏の先祖オオタタネコを産んだ話の変異形である[13]。
また、慈眼寺の縁起によると、その昔、夫婦がこの池に沈み夜叉と化したため、夜叉ヶ池と呼ぶという。数百年後、慈眼寺の僧天真が彼らを成仏させたという。
泉鏡花の戯曲『夜叉ケ池』では村を越前国大野郡鹿見村(ただし実際の鹿見村は南条郡で、現在は南条郡南越前町)とし、娘が雨乞いの生贄にされるという大枠は同じだがかなり脚色されている。白雪(生贄の娘)は龍神と化し洪水を起こすが、越の大徳泰澄により池に封印される。なお、戯曲の本筋はそれから1200年が過ぎた現代(執筆当時)の物語である。現在、岩波文庫から「夜叉ケ池・天守物語」(緑27-3)として発行されている。