多久龍三郎

多久龍三郎

多久 龍三郎(たく りゅうざぶろう、1901年明治34年)9月4日[1] - 1983年昭和58年)9月14日[1][2])は、大正から昭和期の実業家政治家華族貴族院男爵議員多久鍋島家後多久氏)13代当主。

略歴

12代多久鍋島家当主、男爵多久乾一郎の三男として東京市赤坂区青山で生まれ、父の死去に伴い、同年12月12日に男爵を襲爵した[1][3][4][5][6][7]

2歳で父祖の地佐賀県に移るが、10歳の時に上京[3]学習院に入り昭和天皇の御学友となる[3]1922年学習院高等科を卒業[4]1926年(大正15年)東京帝国大学文学部国史学科を卒業し[2][3][4]、さらに同経済学部を修了[2]1927年(昭和2年)欧米に留学した[2]

1932年(昭和7年)織田信託監査役に就任[2]。以後、同社長、織田興業社長、東西貿易取締役などを務めた[2][3][4]1944年(昭和19年)7月22日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[8][9]公正会に属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

1947年、第1回佐賀県知事選挙に出馬したが次点で落選[3]。同年、佐賀県小城郡多久村長、佐賀県教育会長に就任した[3]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成 下巻』249頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』76頁。
  3. ^ a b c d e f g 『佐賀県大百科事典』516頁。
  4. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 下』タ81頁。
  5. ^ a b 『華族畫報 下』718頁。
  6. ^ 『大日本華族大鑑』追加之部34頁。
  7. ^ 『官報』第5535号、明治34年12月13日。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、52頁。
  9. ^ 『官報』第5258号、昭和19年7月25日。

参考文献

  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代
多久乾一郎
男爵
多久家第2代
1901年 - 1947年
次代
華族制度廃止

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