土山 しげる(つちやま しげる、1950年2月20日[1] - 2018年5月24日[2])は、日本国の男性漫画家[3]。石川県金沢市出身、大阪府育ち[4]。拓殖大学中退[5]。大阪芸術大学芸術学部キャラクター造形学科客員教授[5][6]。ペンネームは、土田しげるの他に土山滋、ツチヤマシゲル、つちやましげる、海堂りゅうの名を用いた例がある[7][8][9]。
大学在学中、望月三起也に弟子入りし、アシスタントを3年間務め独立する[10]。23歳となった1974年に、『ダラスの熱い日』で本格デビューした[5][10][注 1]。キャリアの前半は、望月三起也の門下ということもありアクションものを数多く手掛け、そのほとんどは原作付きであった[12][13]。『極道ステーキ』などの作品で高い評価を得、1993年頃には月に300頁を描くようになったという[10]。43歳の時、過労で倒れ入院を余儀なくされた[10]。その際、病院食の不味さから「食漫画」を描きたいという意欲が生まれた[14]。こうして発表されたのが『喧嘩ラーメン[注 2]』であり、続く『食キング』で自身が本当に描きたいものが「食漫画」であることに確信を得たとしている[10][12]。以後、68歳で歿するまで専ら「食漫画」を描き続け、グルメ漫画の巨匠と称されるに至った[14][16]。土山しげるの「食漫画」は、食べる人に焦点を当てたもので、食材や調理法を紹介する既存の「食漫画」とは一線を画すものである[14][注 3]。2007年に『喰いしん坊!』で 日本漫画家協会賞優秀賞を受賞している[17]。
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