土佐闘犬(とさとうけん)は、犬の品種の1つ。四国犬をルーツに持ち、近代日本で闘犬用に獰猛な大型洋犬と交配改良されて作られた。一般的には土佐犬(とさけん)と称されることが多いが、これは元々四国犬を指す名称であり、土佐闘犬が正式名称である[要出典]。
鎌倉時代あるいは室町時代から闘犬は行われており、藩士の士気を高めるため土佐藩で四国犬を使った闘犬が幕末の頃から盛んになった[1]。
嘉永から安政年間(1848年~1860年)にかけては庶民の間にも流行し、度々禁止令が出されたが、密かに飼育する愛犬家が後を絶たないため、武士の名義を借りた『預かり犬』として飼育する苦肉の策が採られた。
明治維新後、明治4年(1871年)の廃藩置県の年に庶民に対する畜犬禁止令が解禁されたが、解禁の反動による闘犬の急拡大を懸念した高知県は闘犬取締令を出し、土佐闘犬は順次捕獲されて撲殺による駆除が行われる。この方針に愛好家などから批判が高まり、自由党総理を辞任して帰県した板垣退助の尽力もあり[2]、1897年9月に闘犬取締り規則(高知県令第七十三号)が発布され、課税による許可制に移行し、高知で闘犬が解禁される。
1907年には山内家下屋敷で皇太子時代の大正天皇を招き、闘犬大会が催される[2]。
強い土佐犬を所有することがステータスとなり、民間の闘犬大会も開かれるようになる[2]。それ以降高知県が闘犬の本場として名を上げていき、最盛期の1917年頃には全国から200頭以上の闘犬が集まった[2]。
その後、四国犬にイングリッシュ・マスティフ、オールド・イングリッシュ・ブルドッグ、セント・バーナード、ブル・アンド・テリア、グレート・デーンなどを配して作られたタイプの大型犬種が多数を占めるようになり、元来の防犯用に飼育されていた純粋な四国犬は駆逐されていった。
1933年に全国的な組織として土佐犬普及会が発足[3]。1935年に品種を固定し血統書を発行した。
1937年の支那事変の際は土佐犬普及会が闘犬による慰問を行った[2]。
1942年頃から食糧事情悪化による飼育難で数が激減し、高知県では計13頭の犬の疎開を断行。本土空襲激化により終戦頃には高知県内の土佐闘犬は絶滅した。
戦後直後の土佐闘犬の数は東北に雄10頭と雌5、6頭、九州に2頭であった。土佐犬普及会が東京から大阪に移転した後の1946年末に理事専務の中島凱風が青森県弘前市まで赴き、正月の闘犬を見学した後、つがいの2頭を購入して大阪に持ち帰る[2]。
1948年に大阪高島屋百貨店で企画された四国物産展用の土佐闘犬探しのため、土佐観光協会の依頼で大阪朝日新聞に記事が掲載され中島の目に止まる。桃井直美高知県知事が赤間文三大阪府知事に「観光資源と種の保存のため」寄贈を依頼し、小美能号と若草号が贈呈され、高知に闘犬が蘇る[2][3]。
1994年5月20日、「土佐闘犬」として高知県天然記念物に指定[3]。
闘犬用として作られた犬なので、闘争本能が強く成犬雄同士は近づけない方が良い。
イギリスやフランス、ドイツなどの国では、土佐闘犬などの闘犬を『危険犬種』としてペット飼育の規制対象に指定されていたり、飼育が可能な場合であっても、口輪の装着など厳重な管理が義務付けられている。日本においては、飼主のずさんな管理による咬傷事故が絶えないが、特に規制はされておらず、一部自治体にて規制されているのみである[5]。以上の理由から、日本国内で土佐犬を飼育する場合は鋼鉄製の檻に入れ、建物の外周や出入口を鉄柵で囲い、猛犬注意のステッカーを貼るなどして厳重な管理をすることが望ましい。
土佐闘犬の産地では闘犬の興行場が観光名所となっている。
高知県では1964年に弘瀬勝により土佐闘犬センターが創業し、1973年からは高知市の桂浜の近くに毎日見物ができる闘犬場が設けられた[20]。弘瀬によれば、観光増進の他に動物愛護の高まりを受けての闘犬廃止を想定した資料館としての側面もあったとされる[2]。毎日5試合行われ、公式大会は春・秋・正月が本場所であった。1968年のNHK大河ドラマ『竜馬がゆく』ブームによる観光客増加で高知の闘犬が全国的な知名度を得て観光の目玉となる。郷土玩具などの関連グッズ販売も展開した。観光資源としてよさこい祭りの前夜祭など自治体(高知県・高知市観光課・高知市観光協会)主催の様々なイベントでも闘犬が催された[2]。
1996年に土佐闘犬センターは個人経営から株式会社に移行したが、弘瀬の別件闇融資問題もありイメージが悪化[2]、2001年に民事再生法の適用を申請[20]。2002年にパークサービス高知に改組[20]。2011年には10億円の売上高があったが、2014年には4億円台半ばにまで減少[20]。2010~11年に環境省が開いた「動物愛護管理のあり方検討小委員会」では、「残虐だ」「血が出るなど目を覆いたくなる」といった批判的な意見が出た。
2014年4月に「とさいぬパーク」と改名し闘犬の常時公開を廃止。土佐闘犬の子犬とのふれあい展示を始める[2]。しかし、2016年12月に破産手続開始が決定され[20]、2017年5月19日をもって営業を終了した。跡地は製菓会社青柳の土産物店「龍馬の浜茶屋」となった。
センター閉園により民間に任せてきた種の管理などの質問に知事はオナガドリほどの緊急性がないと回答。また、文化財としては種の保存が優先であり、必ずしも闘犬が必要ではなく、再開への支援や新しい闘犬場の設置の考えはないと回答した[21]。