ケ170形は、かつて日本国有鉄道およびその前身である鉄道省等に在籍した、特殊狭軌線用タンク式蒸気機関車である。
概要
鉄道省が1923年(大正12年)に信濃川発電所建設工事(信濃川電気事務所)用として、深川造船所で16両(ケ170 - ケ185)を製造した機関車である。車軸配置0-6-0(C)、サイドタンク式の公称10トンといわれるタイプで、運転台やサイドタンクの組み立てに皿鋲を用いて、フラッシュ仕上げとしたのも先行する形式と同様である。
本形式の受注に当っては、深川造船所がライバルの雨宮製作所との対抗上、かなりのダンピングを行った形跡がある。
落成は、ケ170 - ケ183の14両が1923年の3月から4月であるが、ケ184およびケ185の2両は同年12月の落成、使用開始の通達もさらに1年を経過した1924年(大正13年)12月で、神戸改良事務所の配置であった。また、製造番号もこの2グループ[1]に別れ、その間に改良事務所向けのケ210形が挟まっている。これは、同年9月1日に発生した関東大震災の影響であるともいわれるが、最初から後期の2両は改良事務所向けであったとする説もある。最初の14両は、予定どおり信濃川電気事務所に配属されたものの、震災の影響で信濃川発電所の建設事業が一時中止されたことから、そのまま使用せずに放置しておくわけにも行かず、ケ172, ケ176, ケ177, ケ179, ケ181の5両が信濃川から転出し、番号順に岐阜、新橋、下関、盛岡、下関の各改良事務所配置となった。
廃車は、酷使された転出組の方が早く、1945年(昭和20年)ごろから放置状態のものもあったようである。しかし、廃車の事務処理は1953年(昭和28年)度までずれ込んでいる。このとき廃車されたのは、ケ172, ケ176, ケ179, ケ181, ケ184, ケ185の6両で、1954年(昭和29年)度にはさらに1両(ケ177)が廃車となっている。残りは、信濃川電気事務所を終始離れることなく、1957年(昭和32年)8月に除籍された。
施設局における車蒸番号は、番号順に、28, 27, 29 - 40, 45, 48であった。
主要諸元
- 全長:4,877mm
- 全高:3,048mm
- 最大幅:1,829mm
- 軌間:762mm
- 車軸配置:0-6-0(C)
- 動輪直径:600mm
- 弁装置:ワルシャート式
- シリンダー(直径×行程):216mm×305mm
- ボイラー圧力:12.0kg/cm2
- 火格子面積:0.42m2
- 全伝熱面積:16.0m2
- 機関車運転整備重量:10.2t
- 機関車動輪上重量(運転整備時):10.2t
- 機関車動輪軸重(各軸均等):3.6t
- 水タンク容量:1.15m3
- 燃料積載量:0.32t
- 機関車性能
- ブレーキ方式:手ブレーキ
脚注
- ^ 深川造船所では、蒸気機関車独自の製造番号を付していないが、臼井茂信の調査によれば、51 - 64, 67, 68に相当する。
参考文献
- 金田茂裕「形式別・国鉄の蒸気機関車 国鉄軽便線の機関車」1987年、エリエイ出版部刊
- 臼井茂信「日本蒸気機関車形式図集成 2」1969年、誠文堂新光社刊
- 臼井茂信「機関車の系譜図 3」1976年、交友社刊
- 臼井茂信「国鉄狭軌軽便線 5」鉄道ファン1983年6月号 (No.266)