君谷 長晴(きみたに ながはる)は、戦国時代の武将。石見国邑智郡河本郷(現在の島根県邑智郡川本町)の温湯城を本拠地とする石見小笠原氏第12代当主・小笠原長隆の次男。
石見小笠原氏12代当主・小笠原長隆の次男として誕生[2]。石見国邑智郡君谷[3]に住し「君谷」を名乗った。
天文年間に君谷氏の祈願所として玉泉寺(曹洞宗通幻派)を開創した[2]。
天文9年(1540年)から天文10年(1541年)にかけて尼子晴久が毛利元就を攻めた吉田郡山城の戦いでは、父と共に尼子氏に味方したが、天文10年(1541年)1月に戦死した[2]。