吉田 耕平(よしだ こうへい、1831年10月15日(天保2年9月10日) - 1905年(明治38年)6月4日)は、明治時代の政治家、銀行家。衆議院議員(1期)。
経歴
吉田詠甫の子として美濃高須藩領石津郡高須町(岐阜県下石津郡高須町、海津郡高須町、海津町を経て現海津市)に生まれる。漢学、和歌、茶道を修める。学区取締、地租改正掛を経て、1879年(明治12年)4月、岐阜県会議員に当選。同議長を歴任し、1881年(明治14年)1月、病のため辞した。その後、1884年(明治17年)に再び県議となった。ほか、第七十六国立銀行を興し同頭取を務めた。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では岐阜県第3区から出馬し当選。大成会に属し衆議院議員を1期務めた。
脚注
参考文献