吉田 秀弥(よしだ しゅうや、吉田秀彌、1881年(明治14年)11月15日 - 1955年(昭和30年)11月19日)は、日本の実業家。京成電鉄第3代取締役社長。
福島県西白河郡滑津村(現中島村)の吉田精一郎の長男として生まれる。
1907年、早稲田大学政治学科を卒業し、二六新報に入社。もっぱら政治畑を歩く。
1916年5月、当時の京成電気軌道に庶務課長兼電燈課長として入社し、1931年取締役総務部長、1937年常務取締役。
1946年1月、今日の京成の基礎を築いた後藤圀彦が前年死去したため、第3代社長に就任。戦後混乱期の会社を牽引した。また、同年に鉄道連隊演習線の払い下げを受け、新京成電鉄を発足させる。
1955年11月3日、交通文化賞受賞。同月11日会長に退き、19日死去。
初代 本多貞次郎 / 第2代 後藤圀彦 / 第3代 吉田秀弥 / 第4代 大山秀雄 / 第5代 川﨑千春 / 第6代 佐藤光夫 / 第7代 村田倉夫 / 第8代 妹尾弘人 / 第9代 大塚弘 / 第10代 花田力 / 第11代 三枝紀生 / 第12代 小林敏也
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