吉武 輝子(よしたけ てるこ、1931年(昭和6年)7月27日 - 2012年(平成24年)4月17日)は、日本の作家・評論家。反戦平和、男女平等を主なテーマとしていた[2]。長女は看護師で随筆家の宮子あずさ。
兵庫県芦屋市生まれ。終戦翌年の14歳の時、進駐軍兵士5人に襲われる性被害を受け、2度にわたる自殺未遂を経験する[3]。東洋英和女学院高等部卒業[4]。1954年3月、慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。同年、東映に入社[5][6]。監督志望だったが広報部に配属され[2]、宣伝部で活躍し、1961年に日本で初めての女性宣伝プロデューサーとなる[1]。長女出産で、意に反する庶務に配置転換させられたのを機に退職[2]。
フリーとなった以後は、旧社会党系の政治・市民運動に取り組む。1977年、第11回参議院議員通常選挙に全国区から無所属(社会党など推薦)で立候補するが落選している。また1986年12月16日に評論家樋口恵子とともに「土井たか子を支える会」を結成、翌87年1月20日には「土井委員長を囲む会」の代表に篠原一とともに選ばれた[7]。
チェーンスモーカーであったため、晩年は肺炎を繰り返すようになり、シェーグレン症候群、慢性肺気腫、大腸癌、膠原病、慢性骨髄性白血病などを患い[2]、2012年4月17日、肺炎のために死去[8]。80歳没。
父親は銀行員だったが、定年退職後55歳で自死[3]。夫は大学時代の演劇部仲間の宮古勝治。一人娘の長女は宮子あずさ[1]。2000年に夫が亡くなり、のちに選挙ボランティアだった24歳下の佐藤充と再婚した[9][2][10]。
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