吉井 精三郎(よしい せいざぶろう、1917年3月9日 - 1947年9月)は、日本の元バスケットボール選手である。
経歴
新潟県立新潟商業学校(現在の新潟県立新潟商業高等学校)に学び[1]、強豪の籠球部(バスケットボール部)に所属した[1][注釈 1]。
全日本の一員として1936年ベルリンオリンピックに出場した。
1964年東京オリンピックバスケットボール日本代表監督の吉井四郎は2歳下の弟。
脚注
注釈
- ^ 新潟商業籠球部は1930年代に全国中等学校籠球選手権の実業学校の部でたびたび優勝をする強豪であり、横山堅七、吉井四郎、高橋実らの名選手を輩出した[1]。
出典
関連項目
外部リンク