千原 英喜(ちはら ひでき、1957年11月15日 - )は、日本の作曲家。福井県武生市出身で、現在は兵庫県西宮市在住[1]。
東京藝術大学音楽学部作曲科卒業、同大学大学院修士課程修了。間宮芳生、小林秀雄に師事した。
日本音楽コンクール第2位(芸大在学中)、トリエステ市賞、グィード・ダレッツォ国際合唱コンコルソ入賞(現在も邦人最高位)、カール・マリア・フォン・ウェーバー作曲賞[2]、吹田音楽コンクール作曲部門最優秀賞、笹川賞創作曲コンクール合唱部門第1位(1986年)など、国内外における受賞歴を持つ。1990年代末から合唱作品で注目されはじめ、NHK全国学校音楽コンクール課題曲作曲家にも選ばれている。
日本の伝統音楽や古典に取材し、それを西洋の音楽(特にキリスト教の聖歌)と結びつけることが特徴の一つである。「音楽は時空を超えて」を銘に、主に以下の4つの事柄を柱にした作曲活動を行っている[3]。
たとえば、最も古い合唱作品である「志都歌」は、『古事記』をテキストにして、日本の雅楽や催馬楽などと西洋のルネサンス音楽を結びつけたものである。師の間宮芳生譲りの土俗性を浄化させた作風は器楽作品でも顕著であり、ヴィオラとピアノの為の「祭文」のようにエンターティナーとしての一面も見せるなど範囲の広い創作を展開している。もっとも、間宮は現地へ赴いて自ら踊ったり、土俗的な風土を感じたりして音楽をそこから引き出すのに対して、千原は自らの持つ美意識や音の調和に日本的なものを引き込み、作曲の手法は間宮とは違った面を持つ[1]。師の間宮と同様に、ピアノにも造詣が深い。
2007年より大阪コレギウム・ムジクムがCD『千原英喜全集』を録音・販売しているほか、黒川和伸による歌曲などを集めた個展や、男声合唱団音空(2016年4月開催[4])・合唱団京都エコー(2016年9月開催[3])などの個展が行なわれている。
現在出版されている作品の多くは合唱曲であるが、千原自身は合唱の経験は芸大の副科のみであり、同級生からも「器楽曲の作曲をしている人だろうと思っていた」[1]と言われるほど、芸大時代までは器楽曲の作曲が先行し日本音楽コンクールのデビュー曲も器楽曲である。しかし、「日本らしい曲を書きたいとずっと思ってて。」「声楽曲なら日本語でたくさん古典の作品があるし、そこからアプローチしようと。テキストからすっと入っていけて、それが楽しくなっちゃった。」[1]として合唱曲に転じることとなった。それらの作品は全音楽譜出版社より出版されている。