北沢 新次郎(きたざわ しんじろう、1887年2月21日 - 1980年1月3日)は、日本の経済学者、社会運動家、早稲田大学名誉教授。労働問題、社会政策を専門とし、東京経済大学学長なども務めた[1]。
東京出身[1]。府立三中(現東京都立両国高等学校)を経て早稲田大学に学び、アメリカ合衆国へ5年間留学して、1911年に「Industrial Revolution of England and Japan」でノースカロライナ大学からM.A.を、1914年には「Japanese Finance during Russo-Japanese War」でジョンズ・ホプキンス大学からPh.D.を取得した[2]。1915年に商学部講師として教職に就き[3]、1916年には教授となって[1]、「工業経済」、「社会政策」といった科目を担当しながら、実質的に労働問題についての研究教育を行なうとともに[2]、1919年には早稲田大学の学生を中心とした学生運動団体であった建設者同盟の顧問となった[1]。1930年には、「産業組織論」を主論文として、早稲田大学から商学博士を取得した[2]。1938年から1945年には、商学部長を務めた[4]。
戦後は、1947年に中央労働委員会委員となり[1]、その会長代理も務め[4]、1949年10月5日には日本学士院会員に選定された[5]。1951年には公正取引委員会委員や郵政審議会会長も務めた[4]。また、1957年から1967年にかけて、東京経済大学学長を務めた。
北沢は1980年1月3日に東京で死去し、告別式は17日に早稲田大学大隈講堂で執り行われた[6]。
2003年に東京の名湧水57選のひとつに選ばれた、東京経済大学国分寺校地内にある「新次郎池」は[7]、北沢の名にちなんで命名されたものとされる[8]。
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