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北条 氏盛(ほうじょう うじもり)は、安土桃山時代の武将、江戸時代初期の大名。河内狭山藩の初代藩主。通称は助五郎。官位は従五位下、美濃守。
生涯
従兄の後北条氏5代当主北条氏直と徳川家康の次女督姫の養子となる。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐によって後北条氏が滅亡した後、父と共に高野山に向かったが、やがて秀吉に許され、天正19年(1591年)、養父氏直が病死するとその遺跡である下野4千石の所領を与えられた。翌天正20年(1592年)、朝鮮出兵で肥前名護屋に従軍した。
慶長5年(1600年)、実父氏規が死去するとその家督を継ぎ、五大老筆頭の徳川家康からも河内狭山にあった父の遺領7千石を安堵された。こうして氏盛は計1万1千石の大名となり、狭山藩の初代藩主となった。同年、関ヶ原の戦いでは東軍の西尾吉次隊に属し本領安堵、家康の将軍就任後は徳川氏へ仕えた。慶長13年(1608年)に死去、享年32。法名は松林院殿浄誉心徹大禅定門。墓所は専念寺(大阪市)。家督はまだ幼い嫡男の氏信が継いだ。
系譜
父母
正室
子女
出典
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後北条氏 狭山藩初代藩主 (1600年 - 1608年) |
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