北斗琉拳(ほくとりゅうけん)は、武論尊原作・原哲夫画による漫画『北斗の拳』およびこれらを原作とするアニメなどに登場する架空の拳法。中国拳法の一種という設定である。
本稿では、北斗琉拳発祥の地・羅聖殿(らせいでん)ならびに『蒼天の拳』に登場する北斗劉家拳(ほくとりゅうかけん)についても併せて解説する。
修羅の国の頂点に立つ三人の羅将が修めている拳法。およそ1800年前に創始されたとみられ、原作では語られていないもののテレビアニメ『北斗の拳2』では創始者はリュウオウとされる。シャチ曰く「あらゆる拳法の中で唯一輝く拳」、カイオウ曰く「悪を象徴とする拳法」である。
北斗琉拳は伝承者の多くがその凄絶さに心を奪われ心を悪に染めるとされ、ある一線を越えれば愛も情もない魔界に入るという。北斗宗家の拳同様に源流のインド色を強く残しており、行使の際にしばしばサンスクリット語を唱えるのも特徴。
その極意は魔闘気と呼ばれる圧倒的な闘気で空間を歪め、敵に自分の位置を見失わせることである。また、全部で1109あるという経絡破孔(北斗琉拳では北斗神拳における経絡秘孔を「経絡破孔」と呼ぶ)を突き、肉体を破壊することも極意である。
『公式 北斗の拳VS蒼天の拳 オフィシャルガイドブック』「拳法概論」では、約1800年前に北斗神拳から北斗三家拳の一つとして分離し、「北斗劉家拳」として伝承され、後に北斗琉拳と呼ばれる拳法へと発展していったとされる。
なお、北斗神拳と同様、極意である暗琉天破を除いて系統だった技は見られず、カイオウ・ヒョウ・ハン・シャチはそれぞれが独自のスタイルで戦っている。
修羅の国にあり、ヒョウ曰く北斗琉拳発祥の聖地とされる。北斗宗家の聖殿が泰聖殿なら、北斗琉拳の聖殿はこの羅聖殿である。屋根の部分は上から見ると六芒星のような形となっている。内部には北斗琉拳の使い手たちの墓碑が無数に屹立し、ここでケンシロウの従者である黒夜叉とヒョウ、そしてケンシロウとヒョウの兄弟対決が行われた。なお、墓碑の高さはいずれもケンシロウの身長(185センチ)との対比で5倍から6倍くらいはあり、その先端は尖っている。
作中の時点では沼に沈んでおり、ヒョウは自分の領地の人間を酷使して沼へ川の水が入るのをせき止め、地上に出した。この復旧作業の監督はヒョウ配下の修羅たちが行い、村人を水のせき止めに必要な石の運搬に使役させた。
作業を迅速に進めるため、修羅たちは村の老人を人質にして二人一組ずつに分け、その状態で片方をギロチンに固定し、もう片方にギロチンの刃とつながっている鎖を咥えさせ、咥えている側が疲れきって鎖を放してしまうとギロチンに固定された側がその刃で死ぬという荒業を行った[3]。だがそこに現れたケンシロウが大岩を使って修羅たちを川ごと埋め立てて始末したことで、ギロチンに固定された老人を含め村人はこの作業から開放された。
『蒼天の拳』に登場する、北斗琉拳の原型となる拳法。三国時代の中国における蜀を治める劉家(劉備とその一族)を守護すべく、北斗神拳の伝承者候補を配したのが始まり[1]。魏の「北斗曹家拳」、呉の「北斗孫家拳」と並び、「北斗三家拳」の一つとされる。
祥地は修羅の国にある羅聖殿。この時代、北斗神拳の伝承者は北斗劉家拳より輩出され本流となったが、正統伝承者が日本に移ってからは分派となり[1]、時代を経るうちに劉家拳の「劉」と輝く玉を意味する「琉」をかけて「北斗琉拳」という別名が生まれたとされる。
北斗神拳を「本家」とするならば、「元祖」となる拳であり[1]、北斗神拳に伝承者が出ない時は代わりに北斗琉拳から伝承者を出し、逆に伝承者が出た時は伝承者同士で戦う「天授の儀」を行うという掟がある。この天授の儀で北斗神拳の伝承者に勝てば、正式に伝承者として認められる。しかし常に北斗神拳の伝承者に敗北を重ねていたためか、いつしか北斗神拳の影に隠れ、魔道の拳として伝えられた。
なお、『北斗の拳』の北斗琉拳では経絡秘孔を「経絡破孔」と言っていたが、『蒼天の拳』では経絡秘孔と呼称している。