北勝森 文仁(ほくともり ふみひと、1971年9月8日 -)は、青森県西津軽郡出身で八角部屋に所属した元大相撲力士。本名は鶴賀 文仁(つるが ふみひと)。身長194cm、体重198.5kg。得意技は突き、押し。最高位は東幕下11枚目(1996年1月場所)。
小学校1年で相撲を始めた[1]。青森県立木造高校在学時には、県大会や東北大会で優勝するなど活躍した。日本大学進学当初は社会科教諭を目指していたが、1年時に相撲部へレギュラー入りしたことでプロを志すようになった[1]。大学在学中には多数のタイトルを獲得し、特に主将を務めた4年次には、全国学生相撲選手権大会で同志社大学4年の山本敏生(後の関脇・土佐ノ海)を破って学生横綱に輝き、さらに世界相撲選手権大会重量級でも優勝を果たした。
大学卒業を前に八角部屋に入門し、1994年1月場所幕下付出で初土俵。体重は205kgで当時史上最重量の新弟子として注目を集めた。
しかし怪我などの影響で思うような成績が残せず、1998年3月場所限りで引退した。
鶴賀の入門を嚆矢として、翌年には堤内康仁(北勝光)、翌々年には熊谷涼至(海鵬)、その次の年には原田治(北勝岩)と4年連続で日大相撲部出身者が八角部屋に入門。八角部屋に学生相撲出身者が増えるきっかけを作った。
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