勧修寺 光豊(かじゅうじ みつとよ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公卿。官位は従二位・権大納言、贈内大臣。
経歴
天正3年(1575年)、准大臣・勧修寺晴豊の子として誕生。天正11年(1583年)に元服する。慶長4年(1599年)、正四位上・参議に叙位・任官する。徳川家康によって江戸幕府が開府されると、初の武家伝奏として幕府との関係融和に尽力した。
慶長17年(1612年)10月25日、病身の際に従二位・権大納言に昇叙されるが、10月26日に薨去。享年38。内大臣を追贈された。
日記に『光豊公記』があり、江戸時代初期の歴史を知る上では重要な史料である。
系譜
登場作品
脚注
- ^ 坊城俊昌の子
勧修寺家15代当主(1603年 - 1612年) |
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