勝ち抜きしりとり歌合戦

勝ち抜きしりとり歌合戦
ジャンル 歌謡バラエティ番組
出演者 牧伸二
審査員 松田トシ
製作
制作 日本テレビ
放送
放送国・地域日本の旗 日本
火曜ゴールデンタイム時代
放送期間1964年10月27日 - 1965年3月30日[1]
放送時間火曜 19:00 - 19:30
放送分30分
木曜ゴールデンタイム時代
放送期間1965年4月8日 - 1966年11月10日[2]
放送時間木曜 19:30 - 20:00
放送分30分
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勝ち抜きしりとり歌合戦』(かちぬきしりとりうたがっせん)は、1964年10月27日から1966年11月10日まで日本テレビ系列局で放送されていた日本テレビ製作の歌謡バラエティ番組である。津村順天堂(現・ツムラおよびバスクリン)の一社提供。

概要

毎回3人1組の一般参加者チーム×2組が出場していた歌合戦番組で、挑戦者チームがチャンピオンチームに挑むかたちで行われていた。歌唱力ではなく歌のしりとりで勝敗を決めていたという点に特徴があり、出場チームは司会の牧伸二が指定した歌詞の中にある1文字で始まる歌を交互に歌っていた。

当初はスタジオで収録を行っていたが、後に日本各地の公会堂で行うようになった。

放送時間

どちらも日本テレビの時間帯とする(出典:[3])。

放送期間 放送時間(日本時間
1964.10.27 1965.03.30 火曜 19:00 - 19:30(30分)
1965.04.08 1966.11.10 木曜 19:30 - 20:00(30分)

出演者

放送局

特筆の無い限り全て同時ネット。

  • 日本テレビ(制作局)
  • 札幌テレビ:金曜 18:15 - 18:45(1964年10月30日 - 1966年4月1日) → 金曜 18:00 - 18:30(1966年4月15日 - 11月11日)[4]

参考資料

脚注

注釈

出典

  1. ^ 読売新聞』(縮刷・関東版) 1964年(昭和39年)10月27日 - 1965年(昭和40年)3月30日付朝刊、テレビ欄。
  2. ^ 『読売新聞』(縮刷・関東版) 1965年(昭和40年)4月8日 - 1966年(昭和41年)11月10日付朝刊、テレビ欄。
  3. ^ 『読売新聞』(縮刷・関東版) 1964年(昭和39年)10月27日 - 1966年(昭和41年)11月10日付朝刊、テレビ欄。
  4. ^ 北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1964年(昭和39年)10月30日 - 1966年(昭和41年)11月11日付朝刊、テレビ欄。
日本テレビ系列 火曜 19:00 - 19:30
【本番組まで津村順天堂一社提供枠】
前番組 番組名 次番組
ほんものにせもの
(1964年4月7日 - 9月29日)
勝ち抜きしりとり歌合戦
(1964年10月27日 - 1965年3月30日)
日本テレビ系列 木曜 19:30 - 20:00
【本番組から津村順天堂一社提供枠】
メモリー・クイズ
(1964年10月8日 - 1965年3月25日)
勝ち抜きしりとり歌合戦
(1965年4月8日 - 1966年11月10日)
紅白なんでも合戦
(1966年11月17日 - 1969年2月13日)

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