別所 友之(べっしょ ともゆき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。別所氏の家臣。
生涯
永禄3年(1560年)、東播磨国(東播八郡)を治めた別所安治の次男として誕生。
若年でありながら、勇猛で近隣に勇名を轟かせた。兄・長治に従い、織田信長に反抗する。長治から命を受けて宮の上の構えを守っていたが、織田氏の家臣の羽柴秀吉の軍勢に攻め込まれ、善戦するも空しく長治ら3200の兵が籠る三木城に合流し籠城した。しかし、のちに「三木の干殺し」と呼ばれる秀吉の兵糧攻めにあい、天正8年(1580年)に味方は降伏(三木合戦)。友之は17歳の妻を先に刺殺し、兄の脇差で切腹自害した。享年21[1]。
辞世の歌は「命をも おしまざりけり梓弓 すゑの世までも名の残れとて」。また、妻の辞世の歌は「たのめこし 後の世までに翅をも ならぶる鳥のちぎりなりけり」。
脚注
- ^ なお、『信長公記』では長治と友之の享年をそれぞれ26、25としている。
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