2014年ソビエト連邦時代の ВДНХ (VDNKh または VDNH)に名称が戻る[1]。(ロシア語: Выставка Достижений Народного Хозяйства)
概要・歴史
全ロシア博覧センターの起源は、1939年の全ロシア農業博覧会(Всесоюзная Сельско-Хозяйственная Выставка、Vsesoyuznaya Selsko-Khozyaystvennaya Vystavka、VSKhV、All-Union Agricultural Exhibition)である。その後、農業のみならず、科学、技術、文化、その他国内産業の分野に展示を拡大することが決定され、1954年から1958年にかけて、第2期および第3期工事が決定された。第1期ともいうべき全ロシア農業博覧会の段階では仮設のパヴィリオンが設置されたが、第2期、第3期工事ではセンター内に当時のソビエト建築の粋を凝らした常設パヴィリオンが多数建設され建築物の実験場の様相を呈し始めた。1959年ソ連国民経済達成博覧会(Выставка Достижений Народного Хозяйства、Vystavka Dostizheniy Narodnovo Khozyaystva、略称ВДНХ(ヴェー・デー・エヌ・ハー、さらに縮めてヴェデンハ)、VDNKh、Exhibition of Achievements of the National Economy)に名称を改め再開された博覧会場は、第二次世界大戦後のソ連社会主義体制の展示場として重要なプロパガンダの役割を担った。
博覧会場入り口の凱旋門のすぐ横に、ヴェラ・ムーヒナ作の巨大な「労働者とコルホーズの女性 Rabochiy i Kolkhoznitsa」像が建っている。この「鎌と鎚」という社会主義建設の象徴を持つ彫刻とその台座となっているパヴィリオンは、1937年のパリ万国博覧会のソ連パヴィリオンを再現したものである。「労働者とコルホーズの女性」像は高さ25メートルのステンレス製である。この像は、ロシア最大の映画スタジオ、モスフィルムのロゴとなっていて多くのロシア人に親しまれている。