『信虎』(のぶとら)は、2021年11月12日公開の日本映画。武田信玄の父・武田信虎の最晩年から始まり孫の勝頼の討死、その後日譚までを描いた映画。
製作総指揮・プロデューサーのほか共同監督・脚本・美術・装飾・編集・時代考証・キャスティングが宮下玄覇、監督は金子修介。撮影は上野彰吾。特殊メイク・かつらは江川悦子。衣裳は宮本まさ江。VFXはオダイッセイ。武田家考証は平山優。また宮下が黒澤明監督の『影武者』のスピンオフを志向したことから、音楽は同作の池辺晋一郎が作曲した。
主演は寺田農、ヒロインのお直役は谷村美月、のちに虎屋主人となる黒川新助役は矢野聖人、上杉謙信役に榎木孝明。織田信長役には当初依頼した隆大介が断ったため渡辺裕之が起用された。結局、隆は当初内定していた千葉真一に代わって土屋伝助役を務めることなったが、本作が遺作となった。寺田は、1985年の映画『ラブホテル』以来の主演となる[2][注釈 1]。
あらすじ
武田信虎(無人斎)は甲斐追放後、駿河を経て京で足利義昭に仕えていた。元亀4年(1573年)、信玄が信長包囲網を形成し上洛を開始。信虎は齢80になっていたが、信玄危篤の報を受け、末娘・お直とわずかな家臣、牢人、志摩の海賊、透破(忍者)を引き連れ甲斐への帰国を目指す。途中、美濃での激戦を乗り越えて信濃高遠城にたどり着く。ここで孫の勝頼と初対面し、信玄の家老馬場信春・山県昌景・内藤昌秀・春日弾正(虎綱)らと対面する。自らが当主に返り咲くという信虎の申し出は、勝頼とその寵臣の跡部勝資と長坂釣閑斎に却下される。
高遠城に留め置かれた信虎だが、彼は若い頃、身延山久遠寺の日伝上人より人心を操る「妙見の術」を生まれながらに身に備えているとの宣託を受けていた。今こそ、その術を会得しようと仏法の修行に励む信虎。ある日、突然悟りを得ると俗念が消えて、会得した秘術を武田家の存続のためだけに使うと心に決めた。破竹の勢いで勝ち進む勝頼を横目に、織田信長に敵対している限り武田家の存続はない。そう読んだ信虎は、外孫の穴山信君(梅雪斎)を呼び寄せ、もしもの時には武田家を継げと術をかけた。すると、その気もなかったはずの信君の顔つきが変わり、真摯に引き受けるのであった。
勝頼の無謀な戦いぶりを批判したために高遠城を追われた信虎は、上の娘の嫁ぎ先である小県郡の禰津城に落ち延びることになる。そこで外孫・禰津神八(禰津松鷂軒の子)の存在を知った信虎は、城主が戦死した志摩武田城の主となることを命じ、付き従って来た海賊の藻右衛門に、若い神八を守り育てるよう術をかけて志摩に旅立たせた。
信虎は、上杉謙信に手紙を書いて、甲斐の国を攻めないよう懇願する一方、北条氏政の子で信虎の曽孫でもある北条国王(氏直)には、血縁として甲斐の国を守ることを依頼、葛山信貞、木曽玄徹(義昌)、小笠原信嶺、下条氏長に術をかけるなど、武田家存続のためにあらゆる手を尽くすのであった。こうして信虎は、81歳で大往生を遂げた。
不幸にして信虎の読みは的中し、天正10年(1582年)、ついに武田家は織田・徳川・北条連合軍の侵攻を受け滅亡する。信虎が術をかけた穴山梅雪斎(信君)は武田家を再興したが、後に血筋が絶えて武田家は31代(『甲陽軍鑑』では信虎は26代)で断絶した。
それから100年近い歳月が流れた元禄14年(1701年)。徳川幕府は信玄の子孫による武田家の(高家として)再興を許した。その昔、死の床にあった信虎は、来世に転生するよう自分自身に「妙見の術」をかけていた。信虎が生まれ変わったその人物とはー。
キャスト
京 武田家
甲斐 武田家
信濃(高遠城代)武田家
信濃 禰津家
身延山 久遠寺
甲斐 長禅寺
織田家
上杉家
徳川幕府
その他
スタッフ
本作は信虎・信玄のほか、国語学者・酒井憲二に捧げられている。酒井は『甲陽軍鑑』の偽書説を覆した人物で、高遠城での評定シーンをはじめ、本作には同書の記述を正確に再現したシーンが盛り込まれている。
製作
京都の宮帯出版社の代表で、歴史美術研究家の宮下玄覇がほぼ全額出資して製作された時代劇作品。昨今の映画は製作委員会で作られることが多いが、本作はほぼ個人出資である。撮影前の映像制作会社イメージフィールドの倒産[3]を受けて、すべて前金での撮影になったという。
大作であっても劇場に行って観客がいない時代劇に危機感を感じていた宮下は、時代劇が完全に廃れてしまう前に製作しようと考えており、また宮下の先祖が武田家の陪臣であることから、その恩返しのために武田家の映画をいずれ作りたいと決意していた。当初「信濃における武田家滅亡」をテーマにしようと考えていたが、甲府駅北口の「武田信虎公之像」を建てた甲府商工会議所の助言に従い、これまであまり取り上げられなかった信玄の父・信虎の晩年にスポットを当て、滅亡で終わらないストーリーに変更することにした。歴史小説家・歴史研究家に脚本を依頼するも予定していた出資社により却下され[4]、宮下は私淑するジェームス三木等に相談し、自らが脚本を担当することにした。武田逍遙軒(信廉)が書いた父・信虎の肖像画の賛文にある「霊光」という語句にヒントを得た宮下は、執筆に着手し、映画の製作が開始された。当初の予定タイトルは『信虎 信玄陣没!国主の帰還』であった。撮影は信虎が甲府を開いてから500年にあたる2019年に京都で行われた。
撮影は、ラインプロデューサー(のちに解任)がクランクインを2カ月遅延させたことにより2019年11月20日から始まった。この遅延で、協力プロデューサーの榎望と衣装の宮本まさ江の存在がなければ、映画は存在しなかったといわれる。また、制作スタッフは東京から移動してきており、晩秋の京都は宿泊費が高く製作費を圧迫したが、結果紅葉の一番きれいな映像を収めることができた。しかし、大部分の屋外シーンはVFXで緑に修正された。VFXは300カットに及び、城の再現、血しぶきや血痕、散る桜の花びらなどを作成している。
東京を中心としたキャストの人数は100人を超え、いわゆる“ちょい出”が多く、贅沢なキャスティングと本作のスタッフ及び周辺の関係者は述べている。
桃山時代の建物を中心に京都ですべてのロケーション撮影を行い、高額な美術品を多用。また、剃り込みの深い戦国期の月代(さかやき)・髷(まげ)、甲冑(武田信玄の諏方法性の兜、上杉謙信の白頭巾形兜、武田勝頼の富士山前立兜、武田信豊の法華経の母衣など)、旗、在来馬(木曽馬)といったディテールにこだわり、400年前当時のリアリティを追求した。さらに、戦国時代の刀と刀や甲冑などをぶつけて本物の音を録音。所作は文献に基づき当時のものを再現している。新しい試みを数多く盛り込んでいるため「視て聴いて体験する新戦国時代劇」と銘打っている。
従来の羽二重(布)ではなくラテックス製のかつらを用いているところが、美術・演出上の大きな特色であり、武田信玄の家臣・山県昌景の欠唇も特殊メイクで再現している。
脚本は、戦国の世を生きた人の「命のはかなさ」や、「中世の祈り」の世界、お家の存続にまつわる「因縁」をテーマにしており、主人公の名前にちなんだ“虎”にまつわるエピソードも盛り込んでいる。本作には数々の作品のオマージュがちりばめられており、主演の寺田農がかつて映画『天空の城ラピュタ』で声優を務めたムスカ大佐のセリフなどがある。古田左介(織部)役は漫画『へうげもの』に似せているという。
公開
公開は信玄生誕500年の2021年10月22日から山梨(TOHOシネマズ甲府)での先行上映を経て11月からTOHOシネマズ系(メイン館・TOHOシネマズ日本橋)で全国上映され、信玄450回忌の2022年まで行われた。上映にあたっては、東京国際映画祭でワールドプレミアをする予定だったが、宮下の強い願いでコロナ禍で春より延期された甲府の信玄公祭りに合わせて行うことにしたが祭りが一年繰り越しとなったため、急遽2021年12月に開催された第27回函館港イルミナシオン映画祭2021でオープニング上映された。
2021年より2022年にかけて、信玄菩提寺・恵林寺の宝物類を展示する信玄公宝物館において「武田の兜と信玄の合戦図展・映画『信虎』小道具展」、信玄ミュージアムで「映画『信虎』公開記念撮影小道具展」、伊那市立高遠町歴史博物館で「映画『信虎』公開記念 信濃の古刀展」、中津川市苗木遠山史料館で「映画『信虎』小道具展」を開催した[5]。2024年2月24日には、アクリエひめじで開催された池辺晋一郎Presents「不朽の邦画音楽コンサート」(トークゲスト役所広司)において、『七人の侍』『影武者』とともに本作のテーマ曲がオーケストラ演奏された[6]。
評価
受賞
- 2022年
- 3月、特殊メイク・かつら担当の江川悦子が、『マスカレード・ナイト』とともに本作のラテックス製のかつらがこの分野に革命をもたらしたと評価され、「芸術選奨 文部科学大臣賞」を受賞した。
- 第11回マドリード国際映画祭において「外国語映画部門 最優秀監督賞」(金子・宮下)と「ベスト・コスチューム賞」(宮本)を受賞した。
- 2023年
- 第10回ニース国際映画祭では「外国語映画部門 最優秀オリジナル脚本賞」(宮下)と「最優秀VFX賞」(オダ)をそれぞれ受賞。
- 第77回サレルノ国際映画祭では長編コンペティション部門でノミネート。
- 2024年
- 第11回ノイダ国際映画祭では「最優秀男優賞」(寺田)と「最優秀撮影賞」(上野)を受賞した。
ヨーロッパの映画祭で数々受賞した要因について、協力プロデューサーの榎望は、登場人物の喜怒哀楽を描くことで普遍的な人間ドラマに仕上がっており、結果としてギリシャ喜悲劇を思わせるテイストを醸し出したためと分析した。
映画批評家によるレビュー
『週刊文春』2021年7月29日号の映画コーナーでは「江戸時代の古書をもとに、セリフや呼び名もリアルに再現したユニークな作品」と紹介している[7]。
轟夕起夫は『キネマ旬報』2021年11月上旬特別号で「「もしもこうだったら」と、歴史を考察、検証してみることが「今に問う時代劇」の面白さに繋がっていく」「オールラウンドな金子監督の手腕を味わうことができる」と評している[8]。
映画ライターのタダーヲは『映画秘宝』2021年11月号で「M・ナイト・シャマランばりのスーパーナチュラルな大オチ、さらに『グリズリー』(76年)を彷彿させる熊の襲撃など、奔放な演出も少なくない」「珍作にならず、不思議なタッチの時代劇」「池辺晋一郎・オダイッセイ・宮本まさ江など第一線で活躍する豪華スタッフたちが作品に風格をもたらせている」と評している[9]。
『キネマ旬報』2021年12月上旬号の映画レビューで、宇野維正は「作品のトーン&マナーがあまりにもエクストリームなので面食らった」「解説字幕の多用、話者を追うだけの退屈なカメラの切り返しと弛緩したズーム、場面転換の合いの手のように入る冗談のような劇伴の使い方、学芸会のような子役の演技など、少なくとも「現在の映画」としての評価は不可能」(5点満点の1点)、北川れい子は「武士たちを前に侍らせた信虎の詮議、戦略、脅しに願望が、武士たちの顔ぶれを変えながら、何度も何度も繰り返され、信虎が発する武士の名も誰が誰やら無数に及び、信虎情報にまったく疎いこちらは、ただ画面を眺めるのみ」「信虎の野心と焦燥感は、演じる寺田農の全身からひしひし。美術や小道具も厚みがあり、ベテラン俳優陣も風格がある。でも私には?」(5点満点の2点)、千浦僚は「相当面白いことが設定とシナリオの上にあるだけに、画面がもう少し陰影に富みグラマラスでゴージャスならばよかった」「撮影というより美術の予算、映画の規模がもっと欲しかった」「何が面白かったか。ハードなスタントアクションとは違う戦略による殺陣場面」「寺田農の信虎の自己催眠が生死を越えて機能する(E・A・ポー『ヴァルドマアル氏の病症の真相』を思わせる)という奇想」(5点満点の3点)とそれぞれ評している[10][11]。
映画ライターの増當竜也は『キネマ旬報』2023年1月上・下旬合併号のDVD紹介記事で「もっとも際立つのはやはり主演の寺田で、達者な話術でぐいぐいと聞く者を引き込んでいくあたり、まさに信虎が現在に蘇ってきたかのようであった」と評している[12][13]。
影響
剃り込みの深い月代・髷が映画『首』に、二枚折の髷がNHK大河ドラマ『どうする家康』で織田信長役に用いられた。かつらを担当した江川悦子による。また、武田信玄の諏方法性の兜と同形のものがNHK大河ドラマ『どうする家康』で用いられた。
関連商品
ガイドブック
サウンドトラック
- 映画「信虎」オリジナル・サウンドトラック[14]
- 音楽:池辺晋一郎
- 発売:ミヤオビピクチャーズ by SHOCHIKU RECORDS
- 販売:Sony Music Solutions Inc.
- 販売形式:CD, 配信
- 商品番号:SOST5005
- 発売日:2021年11月24日
Blu-ray / DVD
- 信虎[15][16]
- 品番:HPBN-398(DVD)、HPXN-398(Blu-ray)
- 発売:日活/ミヤオビピクチャーズ
- 販売:ハピネット・メディアマーケティング
- 発売日:2022年12月16日
Blu-rayの豪華版には映像特典ディスク(DVD)が附属する[16]。本編には採用されなかった特典映像として、寺田農が声を演じた『天空の城ラピュタ』のムスカ大佐の台詞をオマージュした「人がゴミのようだ」Ver.、『信虎』ラストカットの寺田農Ver.、信長喫茶カットの渡辺裕之Ver.などを盛り込んだ。英語字幕付。
脚注
注釈
- ^ 2021年11月の取材に対し寺田は、「台本を読みながら『リア王』みたいだなと最初は思ってたんだけど、だんだんと、これは大塚家具(委任状争奪戦)だ、とも思った」「36年ぶりに主役をやらせていただき、長生きはしてみるもんだなと。信虎だって亡くなるのは81でしょう? まだ2、3年あるからね。僕も信虎くらいまではまだ大丈夫かな?」と話した[2]。奇しくも寺田は81歳で亡くなった。
- ^ 1990年の映画『天と地と』でも上杉謙信を演じた。
出典
参考文献
- 『映画『信虎』の世界』(宮帯出版社、2021年11月、ISBN 978-4801602601)
- 『キネマ旬報』(キネマ旬報社)2021年11月上旬特別号、11月下旬号、12月上旬号、2022年2月上旬号、2023年1月上・下旬合併号
- 『映画秘宝』(双葉社)2021年11月号、12月号
- 『歴史街道』(PHP研究所)2021年12月号
- 『歴史人』(ABCアーク)2021年12月号、2022年1月号
- 『週刊文春』(文藝春秋)2021年7月29日号、11月11日号
- 『週刊朝日』(朝日新聞出版)2021年11月5日号
- 『月刊美術』(サン・アート)2021年11月号
- 『朝日新聞』2021年7月19日(夕刊)、9月1日、11月19日(夕刊)
- 『読売新聞』2019年8月26日、2021年10月21日、11月12日
- 『毎日新聞』2021年10月24日
- 『日本経済新聞』2021年4月16日(夕刊)
- 『産経新聞』2019年8月24日、2021年10月27日、11月6日
- 『聖教新聞』2021年11月11日
- 『山梨日日新聞』2019年8月24日、12月3日、2021年9月15日、10月15日、10月21日、10月22日、10月23日、11月18日、11月25日、2022年4月7日、7月29日
- 『信濃毎日新聞』2021年11月12日
- 『長野日報』2021年11月23日
- 『中日新聞』2021年10月30日
- 『京都新聞』2021年11月12日、2022年2月9日
- 『大阪日日新聞』2021年11月4日
- 『夕刊フジ』2020年1月11日、1月18日、11月12日
- 『デイリースポーツ』2021年11月12日、13日
- 『スポーツ報知』2021年11月11日、11月12日
- 『東京中日スポーツ』2021年11月1日、11月12日、11月13日
- 『日本農業新聞』2021年11月6日
- 『文化通信(速報)』2021年10月26日、11月16日
外部リンク
|
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
テレビドラマ | |
---|
オリジナルDVD | |
---|