佐久間 為人(さくま ためと、1889年(明治22年)9月9日 - 1970年(昭和45年)10月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
1889年(明治22年)に東京府で生まれた。陸軍士官学校第22期卒業。1934年(昭和9年)に騎兵第28連隊長に就任。1936年(昭和11年)3月に陸軍騎兵学校教導隊長に転じ、陸軍騎兵大佐に進級した。1937年(昭和12年)に騎兵第23連隊長を経て、1939年(昭和14年)に陸軍少将進級と同時に陸軍騎兵学校幹事に就任した。
1940年(昭和15年)に騎兵第4旅団長を経て、1941年(昭和16年)に陸軍中将進級と同時に下関要塞司令官に就任。1943年(昭和18年)に第68師団長に親補され、日中戦争に出動。常徳殲滅作戦、湘桂作戦で奮戦するも、1944年(昭和19年)7月に長沙で戦傷を負い、支那派遣軍総司令部附となる[3]。8月に参謀本部附を経て、1945年(昭和20年)2月に第84師団長に親補される。当初は沖縄に派遣される予定だったが、輸送力がないため相模湾に駐屯。本土決戦での決戦師団として備えたが、終戦を迎えた。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
参考文献