伊達 村詮(だて むらあき)は、江戸時代中期の陸奥国仙台藩一門第九席・川崎伊達家初代当主。
元禄10年(1697年)5月17日、中津山藩主・伊達村和の長男として江戸六本木の中津山藩邸にて誕生。幼名は丑千代。
元禄12年(1699年)に、父・村和が旗本・岡孝常との刃傷沙汰(土器町事件)により改易されると、父と共に仙台に戻され、享保4年(1719年)に赦免されるまで逼塞を余儀なくされた。
享保5年(1720年)、村和の出家に伴い家督を相続すると、暫定的に一門格の待遇を受け、村和が死去した享保7年(1722年)には正式に一門第九席に列し、柴田郡川崎要害を拝領して知行2000石を与えられると、翌享保8年(1723年)に川崎に入部し、以後幕末に至るまで同地を治めた。このため村詮の家系を川崎伊達家と称する。
享保16年(1731年)、義弟・村敏を養子に迎え、家督を譲って隠居する。
延享元年(1744年)3月14日死去。享年47。