伊達 村好(だて むらよし)は、江戸時代中期の仙台藩一門第二席・亘理伊達家第9代当主。
生涯
宝暦5年(1755年)、亘理伊達家第7代当主・伊達村実の次男として生まれる。幼名は英之介。
明和4年(1767年)2月、亘理伊達家第8代当主の兄村純が隠居し、嫡子兵力がまだ幼いため、中継養子として家督を相続し亘理邑主となる。同年3月、藩主伊達重村の加冠により仙台城で元服し、偏諱を受けて村好と名乗る。
安永2年(1773年)、藩政混乱を招いた「葛西川島事件」が起こり、同年閏3月、騒動の裁決を藩主重村に任された叔父伊達村良により、騒動の首謀者の奉行(家老)川島行信、若老葛西清胤等が知行召上、一門の村好も隠居を命じられた。養子の兵力(村氏)に家督を譲り、世雲と号した。安永5年(1777年)次男広三郎(資氏)が誕生する。
寛政7年(1795年)7月12日、死去。享年41。
子孫
実子資氏は準一家福原家を相続した。文化10年(1813年)奉行(家老)となる[1]。大條道英に嫁いだ長女榮(艶)の産んだ道冾は、サンドウィッチマン伊達みきおの高祖父道徳の父。NHK(『ファミリーヒストリー』)
参考文献
- 『伊達世臣家譜』
- 『仙台人名大辞書』
- 『宮城県姓氏家系大辞典』
- 『亘理町史』
脚注