伊達 宗清(だて むねきよ)は、江戸時代前期の陸奥国仙台藩一門。陸奥国黒川郡吉岡城城主。吉岡伊達家は伊達氏庶流飯坂氏。
略歴
慶長5年(1600年)、伊達政宗の三男として誕生した。慶長9年(1604年)に飯坂宗康の養嗣子となる。慶長15年(1610年)に11歳で元服し、後に伊達姓を賜り伊達河内守宗清と称した。黒川郡吉岡3万8千石を領し下草城に入り、元和元年(1615年)に吉岡要害の築城にかかり、翌年に吉岡要害に移った。
寛永11年(1634年)7月22日に死去した。享年35。墓所は天皇寺にある。死去の際に大和田佐渡ほか13人が殉死した。
吉岡伊達家は無嗣断絶となったが、のちに桑折重長の子・定長(のち宗長)が再び飯坂姓で跡を継いだ。
脚注
注釈
- ^ 新造の方が生母で飯坂の局が養母とする説(『飯坂盛衰記』『竜華山史』)、飯坂の局が生母とする説(『寛政重修諸家譜』)などがあり、大河ドラマ『独眼竜政宗』では後者を採用している。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク