伊藤 光夫(いとう みつお、1937年1月1日 -2019年7月3日[1][2])は、静岡県磐田市出身の元モーターサイクル・ロードレースライダー[3]。
2輪での経歴
伊藤はスズキの社員ライダーであり[1]、初レースは1959年の第2回浅間火山レース125ccクラスであった。このレースではぬかるみに足を取られ転倒リタイアしている[4]。世界GPデビューは1961年フランスグランプリで、125ccクラスはスタートせず、250ccクラスは3周目にリタイアしている[5]。翌1962年、50ccクラスでランキング5位となり、それから1965年まで4年連続でランキング5位に入った。1963年に日本人として初めてマン島TTレース 50cc ウルトラ・ライトウェイトTTクラスで優勝を果たした。このときのマシンはRM63であった。伊藤は現在でも唯一の日本人勝者である[1][6]。その後は1967年の日本GPでも50ccクラスで優勝している[3]。現役引退後はデイトナレースの監督を務め、他にはMFJの技術委員も務めた。2018年にはMFJモーターサイクルスポーツ殿堂の第1回殿堂顕彰者に選出されている[1]。
4輪での経歴
伊藤は1970年に富士スピードウェイで行われたJAFグランプリ・フォーミュラ・ジュニア「ジュニアセブンチャレンジカップレース」にシングルシーターのスズキ・フロンテRFで出場、平均速度130.9 km/hで優勝している[7]。2週間後に行われたJAFグランプリレース大会が彼が出走したもう一つの4輪レースであった[8]。
1968年8月にはフロンテSSのプロモーションのためにスターリング・モスと組んでイタリアのミラノからナポリに通じるアウトストラーダ A1750 km (466 mi)を高速で走行した。平均速度は122.44 km/h (76.08 mph)で、わずか356ccのエンジンを搭載した車両で達成した記録として賞賛される[9]。
世界選手権 記録
Race Results - Isle of Man TT Official Website[3][10]より。
順位
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1
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2
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3
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4
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5
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6
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ポイント
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8
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6
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4
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3
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2
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1
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(key) (太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
出典