井川 耕一郎(いかわ こういちろう[1][2][3]、1962年[3][4][5]7月27日[1][2][6] - 2021年11月25日)は、日本の映画監督、脚本家である[6][7]。映画美学校フィクション・コース講師[4]。立教大学文学部文学科文芸・思想専修講師。1990年代より主にVシネマの脚本を手がける[8]。監督作品に『寝耳に水』や『西みがき』等の短篇のほか[8]、商業映画初監督作『色道四十八手 たからぶね』、脚本作品に『黒い下着の女教師』や『喪服の未亡人 欲しいの…』などがある[9]。
経歴
1962年(昭和37年)[3][4][5][9] 7月27日、東京都世田谷区に生まれる[1][2][6]。その後、千葉県船橋市に移り、1978年(昭和53年)4月、千葉県立千葉高等学校に進学した[1]。同校の1学年上に、のちの映画監督の塩田明彦がいた。
同校卒業後、早稲田大学政治経済学部経済学科に進学、同学在学中に早大シネマ研究会に所属、映画製作を行なう[1][3]。1986年(昭和61年)に製作を手がけ、福本淳とともに撮影技師も務めた監督・脚本作『ついのすみか』(8mmフィルム、35分)を完成、翌1987年(昭和62年)、同作が第10回ぴあフィルムフェスティバル入選を果たす[1][3][8][9][10]。同作は、同年にはイタリアのトリノ国際映画祭、翌年には1988年(昭和63年)にはベルギーで行なわれたブリュッセル・スーパー8&ビデオ・フェスティバルにも出品された[10]。同作の撮影技師をつとめた福本はのちに撮影監督になり、録音技師を務めた山岡隆資は現在は映画監督として知られる[8][10]。早大シネマ研究会の先輩にあたる高橋洋によれば、井川は当時から神代辰巳のリハーサル手法に着目し、「俳優の生理に迫って演技を引き出す独自のリハーサルの方法論」を実践していたという[3]。1989年(平成元年)8月18日、高橋同様に先輩にあたる島田元が創刊した季刊誌『映画王』に参加、1990年(平成2年)2月18日に発行された第3号、同年5月18日に発行された第4号において、井川は、高橋とともに大和屋竺へのインタビューを行った[11][12]。
1993年(平成5年)、『のぞき屋稼業』(監督後藤大輔)で商業脚本家としてデビューした[3][9]。その後、『女課長の生下着 あなたを絞りたい』(監督鎮西尚一)、『黒い下着の女教師』(監督常本琢招)、『のぞき屋稼業9 恥辱の盗撮』(監督大工原正樹)、『痴漢白書10』(監督山岡隆資)、『片目だけの恋』(監督渡辺護)などの脚本を手がける[5]。1998年(平成10年)10月、映画美学校で第2期「演出・脚本部門」講師に就任する[3]。2000年(平成12年)、同校の生徒とのコラボレーション作品『寝耳に水』を監督し[5]、同年の東京フィルメックスに出品されたほか[13]、2007年(平成19年)に劇場公開される[9]。2009年(平成21年)7月2日・15日には東京国立近代美術館フィルムセンターで『ついのすみか』が上映された[8]。同年、渡辺護のために『色道四十八手 たからぶね』の脚本を執筆するも、製作が延期になり、同年12月、井川が構成・撮影を務める「渡辺護自伝的ドキュメンタリー」シリーズの撮影を開始する[14]。同作は第1部・第2部の長篇のほか短篇8篇を含めた全10部からなり、撮影期間は翌2010年(平成22年)12月までほぼ1年かかった[14]。
2012年(平成24年)3月9日、「映芸シネマテークvol.12」として、井川が脚本を手がけた『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』(監督大工原正樹)とともに監督作『西みがき』『玄関の女』が上映され、大工原とのトークを行なった[9]。2013年(平成25年)12月7日 - 同8日、名古屋のシアターカフェで「脚本家&監督 井川耕一郎の世界」が開催され、『寝耳に水』『玄関の女』『弱い魂』の3作品の上映と、シナリオ講座および伊藤大輔についてのレクチャーを行った[3]。高橋洋によれば、井川のレクチャーには定評があり、「受講生以上に、万田邦敏はじめ講師陣に強い影響を与えてきた」という[3]。
井川が脚本を執筆した『色道四十八手 たからぶね』は「ピンク映画50周年記念作品」として製作されることになったが、「ピンク映画50周年」にあたる2012年には製作のめどが立たなかった[15]。その後、準備中であった2013年(平成25年)12月24日に渡辺護が死去、2014年(平成26年)、同作を自ら監督することになった[15]。同作は、井川の商業映画初監督作となり、同年10月4日にユーロスペースで公開された[15]。2015年(平成27年)1月19日に発表された『映画芸術』誌の「2014年日本映画ベストテン」で、同作は『まほろ駅前狂騒曲』(監督大森立嗣)とともに同率9位に選ばれた[16]。
2021年10月に入り体調不良が続き、11月23日大学の講義を追えた後、11月24日未明に救急搬送され、11月25日に死去。肝硬変末期であった。
フィルモグラフィー
井川が関わった作品の一覧である[3][4][5][8][9]。
- せなせなな(1986年) - 監督
- ついのすみか(1986年) - 製作・監督・脚本・撮影(第10回ぴあフィルムフェスティバル入選、トリノ国際映画祭出品)
- のぞき屋稼業(監督後藤大輔、1993年) - 脚本
- パチンカー奈美2(監督光石冨士朗、1993年) - 脚本
- 成田アキラのテレクラ稼業(監督常本琢招、1994年) - 脚本
- 女課長の生下着 あなたを絞りたい(監督鎮西尚一、1994年) - 脚本
- ゴト師株式会社 III(監督後藤大輔、1994年) - 脚本
- 人妻玲子 調教の軌跡(監督常本琢招、1995年) - 脚本
- のぞき屋稼業7(監督常本琢招、1995年) - 脚本
- 黒い下着の女教師(監督常本琢招、1996年) - 脚本
- のぞき屋稼業9 恥辱の盗撮(監督大工原正樹、1996年) - 脚本
- ニューハーフ物語 わたしが女にもどるまで(監督山岡隆資、1997年) - 脚本
- 痴漢白書10(監督山岡隆資、1998年) - 脚本
- 寝耳に水(2000年) - 監督・脚本[3][8](東京フィルメックス出品)
- 私の骨(監督荻野憲之、2001年) - 脚本
- ダムド・ファイル(テレビ映画、2003年) - 脚本[9]
- 片目だけの恋(監督渡辺護、2004年) - 脚本
- 赤猫(監督大工原正樹、2004年) - 脚本
- スパイ道(テレビ映画、2005年) - 出演
- ホッテントットエプロン スケッチ(監督七里圭、2006年) - 出演
- 西みがき(2006年) - 監督・脚本[8]
- 殺しのはらわた(監督篠崎誠、2006年) - 出演
- ミニチカ 完全版(監督大工原正樹、2007年) - 出演
- 喪服の未亡人 欲しいの…(監督渡辺護、2008年) - 脚本
- 玄関の女(オムニバス映画『十三日の金曜日』、2011年) - 監督[3]
- 姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う(監督大工原正樹、2011年) - 脚本
- 「渡辺護自伝的ドキュメンタリー」シリーズ(2011年 - 2012年)
- 糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護(2011年) - 撮影・構成
- つわものどもが遊びのあと 渡辺護が語るピンク映画史(2012年) - 撮影・構成
- 渡辺護が語る自作解説 弁天の加代を撮る(2012年) - 撮影・構成
- 渡辺護が語る自作解説 エロ事師を撮る(2012年) - 撮影・構成
- 渡辺護が語る自作解説 緊縛ものを撮る(一) 拷問ものから緊縛ものへ(2012年) - 撮影・構成
- 渡辺護が語る自作解説 緊縛ものを撮る(二) 処女作への回帰(2012年) - 撮影・構成
- 渡辺護が語る自作解説 緊縛ものを撮る(三) 権力者の肖像(2012年) - 撮影・構成
- 渡辺護が語る自作解説 事件ものを撮る(2012年) - 撮影・構成
- 渡辺護が語る自作解説 新人女優を撮る(2012年) - 撮影・構成
- 渡辺護が語るピンク映画史(補足) すべて消えゆく ピンク映画1964-1968(2012年) - 撮影・構成
- 弱い魂(2012年) - 監督[3]
- 色道四十八手 たからぶね(2014年)- 監督・脚本
ビブリオグラフィ
国立国会図書館蔵書等にみる書籍・論文等の書誌である[7]。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク