二階堂 頼綱(にかいどう よりつな)は、鎌倉時代中期の御家人。鎌倉幕府政所執事。
生涯
延応元年(1239年)政所執事二階堂行綱の次男として生まれる。長子が夭折したため嫡男として育った。文永6年(1269年)検非違使の任と左衛門尉に叙される。文永11年(1274年)下総守となり建治元年(1275年)引付衆に加わる。建治3年(1278年)伊豆で伊豆権現の宗徒が争乱を起こすと、評定衆三善倫経とともに伊豆に赴き鎮撫に当たった[1]。その後弘安4年(1281年)父行綱の死去に伴って政所執事となり、翌年には評定衆となった。
弘安6年(1283年)10月24日死去。享年45。政所執事は叔父の二階堂行忠が後継した[2]。
経歴
脚注
- ^ 「建治三年記」、『史料総覧』5編905冊222頁
- ^ 「関東評定伝」、『史料総覧』5編905冊285頁
- ^ 「系図纂要」、『史料総覧』5編905冊264頁
- ^ a b c d 「関東評定伝」、『史料総覧』5編905冊259頁
- ^ 『日本人名大辞典』
- ^ 「関東評定伝」、『史料総覧』5編905冊264頁
関連資料
- 東京大学史料編纂所 大日本史料総合データベース『史料総覧』