丹羽 又三郎(にわ またさぶろう、1934年8月20日[2][注釈 1] - )は、日本の俳優。2014年よりOKエンターテイメント所属[2]。本名は中村 進(なかむら すすむ)[4][2]。昭和30年代後半の大映時代劇映画の主演級スター。また昭和40年代テレビ特撮番組の悪の幹部役の怪優としても知られている[要出典]。
東京市芝区芝浦町(現、東京都港区芝浦)出身[4][2]。明治学院高等学校、明治学院大学文学部卒業[5][2]。過去には太平洋テレビジョン[6]、さむらいプロに所属していた[3][7]。
冷蔵船用冷蔵庫を製作していた父の一人息子として生まれる[4]。大学在学中の1954年、俳優を志し、松竹音楽学校附属研究所に入り、同年7月、新東宝に入社[5][2]。中村 又三郎の芸名で、『地獄屋敷』でデビューしたのち[2]、数本の映画に出演したが、社内事情のため、1956年に新東宝を退社する[8]。黎明期のテレビに活躍の場を移し、『日真名氏飛び出す』や『お役者文七 花の絵姿』といったドラマに出演しながら、1957年に大学を卒業[8][2]。
1960年、田端義夫の弟の紹介で大映京都撮影所に入社し、「丹羽 又三郎」に改名[8][2]。『幽霊小判』に主演し、時代劇スターとして再出発する。同作は低予算の白黒映画であったが、大スター市川雷蔵がカメオ出演したこともありソフト化されている。この映画で端整な顔立ちの二枚目ながら妖しげな雰囲気をも漂わせる独特の個性で演じている。
その後はいくつかの低予算映画に主演する一方、雷蔵の『斬る』や勝新太郎の『不知火検校』などスターの代表作にも重要な役で助演した。1964年に大映を退社してフリーとなり[7]、主に悪役として再びテレビドラマに活動の場をシフトしていく。 1967年、東映制作の特撮テレビドラマ『ジャイアントロボ』で悪の結社BF団の初代日本支局長スパイダーを演じた[2]。1972年には『仮面ライダー』でゲルショッカーの冷酷非道な大幹部ブラック将軍を演じた。
テレビ時代劇やアクションドラマでも凄腕の剣客や殺し屋、ギャング団のボスなどの役を数多く演じ、個性派の悪役として活躍していたが、1970年代半ば頃に芸能界を引退し渡米[8]。帰国後の1975年、ブティック「ガーベラ」の共同経営に乗り出す[8][2]。
それ以降は、長年に渡り公に姿を現すことがなかったが、2014年から大映時代の盟友が主催するOKエンターテイメントに所属し、芸能活動を再開した[2]。
など
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