中西 清一(なかにし せいいち、1874年(明治7年)9月25日[1] - 1927年(昭和2年)9月23日[2])は、明治期〜大正期の官僚。逓信次官。南満州鉄道副社長。
東京府出身。旧制第二高等学校を経て1899年(明治32年)に東京帝国大学法科大学法律科を卒業し、高等文官試験に合格[1]。内務省に入り、地方局に配属される[3]。岩手県参事官、兵庫県参事官、法制局参事官・書記官を歴任[1]。1913年(大正2年)、鉄道院理事に就任し、総裁官房文書課長、監督局長を務めた[1]。その後、原敬内閣の逓信次官を経て、満鉄副社長に抜擢された。だが、満鉄疑獄事件で起訴され、一審では有罪判決を受けたものの、1923年(大正12年)の二審で無罪となった[2]。
その他、豊多摩郡会議員、渋谷町会議員も務めた[4]。