中村 亨三(なかむら きょうぞう、1917年(大正6年)6月22日[1][2] - 2007年(平成19年)11月30日[3])は、昭和から平成時代前期の政治家。青森県十和田市長。大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍大尉。
北海道に生まれる[2][注 1]。旧制野辺地中学校を経て[2]、1939年(昭和14年)海軍兵学校67期卒業[1]。駆逐艦の航海長として太平洋戦争に出征し、ジャワ進攻ではバタビヤ沖で奮闘した[4]。1943年(昭和18年)海軍大尉に進む[2]。戦傷を受け、1944年(昭和19年)第七〇一海軍航空隊通信長に転じ、国分航空基地で終戦を迎えた[4]。戦後、公職追放を受けた[4]。
1945年(昭和20年)第二復員省勤務を経て、1949年(昭和24年)帰郷し、1952年(昭和27年)青森県上北郡三本木町収入役に就任する[2]。ついで十和田市助役、青森県教育委員を経て、1968年(昭和43年)十和田市長に就任した[2]。以後6選し1992年(平成4年)落選した[1]。
ほか、三和農協参事、十和田観光電鉄取締役を務めた[5]。