中本 邦治(なかもと くにはる、1959年10月29日 - )は広島県出身の元サッカー選手。
広島工業高校では大井成元、沖宗敏彦、室野哲雄らとディフェンスラインを組み2年次1976年、新潟高校総体ベスト8、国体準優勝(1-4静岡県選抜)、3年次1977年、岡山高校総体ベスト4進出に貢献した。
中央大学を経て日本鋼管サッカー部に所属。小柄ながら俊足とジャンプ力に優れた主力DFとして日本サッカーリーグ(JSL)151試合に出場した。日本鋼管では田中孝司、倉又寿雄、GK松井清隆らとゴールを守りJSLで1985年からの優勝争い(1985年、1986年-1987年、1987年-1988年シーズン三年連続2位)、1987年JSLカップ制覇に貢献した。
代表では1979年、U-20サッカー日本代表としてワールドユース日本大会に出場の他、日本代表として国際Aマッチ5試合、Cマッチ5試合に出場した。1987年のソウルオリンピック予選では加藤久、堀池巧、勝矢寿延、奥寺康彦らディフェンスラインを組んだ。代表の"赤い"ユニフォームも着た。
近年は宝くじの普及広報を目的とした、ドリームサッカー日本代表OBのメンバーとして各地で試合を行っている。
・JSLオールスターサッカー 2回出場(1987年、1988年)
その他の公式戦
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