中川 貞長(なかがわ さだなが)は、江戸時代の公家。堤家当主。
1615年(元和元年)に正親町三条公仲の息子である中川貞秀の三男として生まれる[2]。
公家の名家である堤家の家祖とされており、貞長の息子である堤輝長によって家名を「堤」と改称した[3]。
1677年(延宝5年)、死去。
この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。