中川 茂一(なかがわ しげかず、1937年9月6日[1] - 2010年4月3日[2])は、大阪市西淀川区出身の元競輪選手。日本競輪選手会大阪支部に在籍していた。
日本競輪学校第79期生の中川大祐(1973年10月25日 - 2012年5月30日)は実子[3]。
経歴
大阪商業高等学校出身。
日本競輪学校第14期生。同期に寺澤節男、松本秀人らがいる。
1960年8月19日、宇都宮競輪場でデビューし1着、及び同開催の完全優勝を記録。
1969年の秩父宮妃賜杯競輪(西武園競輪場)において優勝。なお、同大会の決勝戦は万車券決着となった。また中川のこの優勝から、45年後の2014年に稲川翔が高松宮記念杯競輪(宇都宮競輪場)で優勝するまで、GI相当大会で、大阪支部所属の選手が優勝することはなかった。
強引ともいうべき競りをモットーとした強気な競走スタイルであるがゆえに、鎖骨骨折例が多く、競走生活の晩年は、鎖骨が離れたままレースに挑んでいたという[4]。ゆえに生涯戦績のうち、落車棄権36回、失格は74回にも及んだが、現役引退後に手術を受け、鎖骨は元通りに回復したという。
1999年7月29日選手登録削除。通算戦績3041戦492勝。
脚注
- ^ 立川競輪フリーペーパー とらいふぇくた 2009年6月号
- ^ うつ病ナース ぼちぼち奮闘記 - 2010年4月3日付
- ^ 中川大祐君に合掌 - 我が道・輪が道・一本道・自転車道 2012年5月31日付
- ^ 田中鍼灸整骨院2010年4月11日付記事
関連図書
外部リンク