中安 信三郎(なかやす しんざぶろう、1860年9月7日(万延元年7月22日[1])- 1932年(昭和7年)10月27日)は、日本の政治家。衆議院議員、大日本国粋会・第2代会長。旧姓は小林。
1860年(万延1年7月)に丹波国南桑田郡にて生まれる。和仏法律学校(現・法政大学)を卒業する。
京都市会議員・参事会員、京都府会議員などを経て、1908年(明治41年)に第10回衆議院議員総選挙に当選する(以後2期当選、立憲同志会)。
1919年(大正8年)に大日本国粋会の設立に参加し、理事長に就任し、1929年(昭和4年)に会長に就任する。
1932年(昭和7年)10月27日に死去、72歳。
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