中国地理学会(ちゅうごくちりがっかい、英語: The Geographical Society of China、GSC)は、中華人民共和国の地理学分野に関する学会である。中国科学技術協会の会員であり、中国科学院地理科学与資源研究所に本部を置く。
概要
中国地理学会は国際地理学連合(IGU)、国際永久凍土連合(IPA)、国際地形学連盟(IAG)の会員である[1][2][3]。会員数は2009年時点で約2万人である[4]。
学会には専門委員会が置かれ、地形および第四紀、経済地理、歴史地理、水文、自然地理、気候、世界地理、環境地理および化学地理、人文地理、地図学および地理情報システム、海洋地理、医学地理、観光地理、都市地理、農業地理および農村発展、計量地理、環境変化、人口地理の18委員会が存在する[5]。
歴史
中国地理学会の前身・中国地学会は1909年に天津市で成立した[6]。中国地学会は中国の学術団体の中で創設時期の早い学会であった[7]。1934年、翁文灝、竺可楨、張其昀(中国語版)らが南京市で正式に中国地理学会を創立[6]、翁文灝が初代会長に就任した。学会誌『地理学報』も同年に発行を開始した[6]。当時の『地理学報』は歴史地理学や地理教材について多く掲載していた[8]。
中華人民共和国成立後の1950年に中国地学会と中国地理学会が合併し、新しい中国地理学会が発足する[7]。地理学者らは社会主義の建設に寄与する地理学を志向し、従来の「観念論的地理学」からの転換を求められた[9]。1953年、第一回の全国会員代表大会が開かれ、竺可楨が理事長に任じられた[10]。竺可楨はこの後2度理事長に再選され、長らく中国の地理学界を率いることとなる[10]。改革開放政策が始まると、停止していた『地理学報』の発行が1978年9月に再開され、翌1979年には広東省広州市で学会が開催された[11]。1984年、同じく「中国地理学会」を名乗る台湾側と調整が行われ、正式に国際地理学連合(IGU)に加盟する[1]。
歴代理事長
1934年から1953年(旧・中国地理学会)
代
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会長・理事長
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在任期間
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備考
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1 |
翁文灝 |
1934-1937 |
会長
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2 |
1937-1943 |
理事長
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3 |
胡煥庸 |
1943-1950
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4 |
黄国璋 |
1950-1952
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5 |
竺可楨 |
1952-1953
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1953年以降(新・中国地理学会)
刊行物
- 『地理学報』
- 『地理学報』(英文版)
- 『冰川凍土』(氷河凍土)
- 『遥感学報』
- 『山地学報』
- 『経済地理』
- 『人文地理』
- 『世界地理研究』
- 『歴史地理』
- 『中国国家地理(中国語版)』
脚注
- ^ a b 小野寺(2012):837ページ
- ^ “学会简介” (中国語). 中国地理学会. 2013年8月12日閲覧。
- ^ “历史沿革” (中国語). 中国地理学会. 2013年8月12日閲覧。
- ^ 小野寺(2012):830ページ
- ^ “专业委员会” (中国語). 中国地理学会. 2013年8月12日閲覧。
- ^ a b c 小野寺(2012):825ページ
- ^ a b 小野寺(2012):829ページ
- ^ 保柳(1974):22ページ
- ^ 河野(1965):289ページ
- ^ a b 小野寺(2012):828ページ
- ^ 小野寺(2012):827ページ
参考文献
- 小野寺淳(2012)"中国の地理学"地学雑誌(東京地学協会).121(5):824-840.
- 河野通博(1965)"新中国における地理学の歩み"人文地理(人文地理学会).17(3):285-301.
- 保柳睦美(1974)"解放後の中国における地理学研究の動向"地学雑誌(東京地学協会).83(6):372-387.
関連項目
外部リンク