| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "下村寅太郎" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年9月) |
下村 寅太郎(しもむら とらたろう、1902年(明治35年)8月17日 - 1995年(平成7年)1月22日)は、日本の哲学者・科学史家。
経歴
1902年、京都市下京に生まれた。旧制京都一中、旧制三高で学び、京都帝国大学文学部に入学。哲学科で西田幾多郎、田辺元に師事し、ライプニッツ研究や、数学の哲学であったり、科学哲学の分野に関心を持って研究を開始した[1][2]。1926年に京都帝国大学文学部を卒業[3]。
卒業後から15年を経て、1941年に東京文理科大学助教授に就いた。1945年に教授昇格。
- 戦後
1945年、学位論文『無限論の形成と構造』を京都帝国大学に提出して文学博士号を取得[4]。戦後の学制改革による改組に伴い、東京文理科大学東京教育大学教授となった。戦後は数理や科学自体に対する考察からその歴史的考察へ研究対象を移していった。1967年、東京教育大学を定年退官。その後は学習院大学教授に就いた。1975年、日本学士院会員に選出された[5]。
受賞・栄典
研究内容・業績
下村の生涯にわたっての研究対象は幅広く、ライプニッツ論や科学哲学、数学の哲学の分野で研究を開始し、レオナルド・ダ・ヴィンチ論を中心とするルネサンス研究、そして最晩年には歴史哲学研究へと向かった。[6]。その著作は11年かけて刊行された下記『著作集』(全13巻)にまとめられている。
師事した『西田幾多郎全集』の刊行にあたっては、編集委員を務めている。
- 下村寅太郎蔵書
蔵書は関西学院大学図書館に収められ[7]、2002年(平成14年)に『下村寅太郎蔵書目録』が出された。書簡については、三宅剛一差出・下村寅太郎宛書簡が公開されている[8]。
著書
単著
- 『ライプニッツ』弘文堂〈西哲叢書〉1938
- 『自然哲学』 弘文堂〈教養文庫〉1939
- 『科学史の哲学』弘文堂 1941、評論社
- 『無限論の形成と構造』 弘文堂 1944
- 『西田哲学』 白日書院 1947
- 「西田哲学への道」現代教養文庫 1951
- 没後出版
- 大橋良介編解説「精神史の中の日本近代」〈京都哲学撰書 4〉 燈影舎 2000
- 野家啓一編解説「精神史としての科学史」〈京都哲学撰書 27〉燈影舎 2003
- 加藤尚武解説「科学史の哲学」みすず書房〈始まりの本〉2012
- 小坂国継編解説『下村寅太郎集』(西田幾多郎研究資料集成 第5巻)クレス出版 2012
著作集
- 『下村寅太郎著作集』みすず書房(全13巻)1988-1999
- 編集委員 永井博、竹田篤司、古田光、清水富雄
- 「数理哲学・科学史の哲学」1988
- 「近代科学史論」1992
- 「アッシジのフランシス研究」1990
- 「ルネサンス研究 ルネサンスの芸術家」1989
- 「レオナルド研究」1992
- 「ルネサンスとバロックの人間像」1993
- 「ライプニッツ研究」1989
- 「聖堂・画廊・広場 ヨーロッパ遍歴」1988
- 「ブルクハルト研究」1994
- 「美術史・精神史論考」1995
- 「哲学的問題」1997
- 「西田哲学と日本の思想」1990
- 「エッセ・ビオグラフィック」1999
編著
共著編
- 『ヨーロッパにおける人間観の研究』未来社 1982
(古田光、
藤田健治、
木田献一、
屋形禎亮、
澤柳大五郎、
廣川洋一、
中野幸次、
秀村欣二、
兼岩正夫、
清水富雄、
裾分一弘、
下村寅太郎、
西沢竜生、
永井博
による共編著)
翻訳
記念論集
(澤柳大五郎、
関根正雄、
村治能就、
浅野順一、
中野幸次、
秀村欣二、
兼岩正夫、
清水富雄、
渡辺金一、
下村寅太郎、
西沢龍生、
藤田健治、
永井博
による共編著)
下村寅太郎に関する資料
外部リンク
脚注