三須 精一(みす せいいち、1889年(明治22年)1月20日[1] - 1948年(昭和23年)12月8日[1][2])は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。
経歴
本籍滋賀県[2]。海軍士官・三須宗太郎の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1922年(大正11年)1月30日、男爵を襲爵した[1][3][5]。
学習院高等科を卒業して[6]千葉県立高等園芸学校(千葉高等園芸学校)に進学、1916年(大正5年)卒業した[2][3][4]。1918年(大正7年)関東庁嘱託となる[2][3]。以後、内外農事取締役、日本輸出農産物設立委員などを務めた[2][3]。
1928年(昭和3年)1月26日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[7][8]、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで3期在任した[2]。
親族
脚注
- ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 下巻』673頁。
- ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』85-86頁。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』ミ18頁。
- ^ a b c 『華族畫報 上』250頁。
- ^ 『官報』第2847号、大正11年1月31日。
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、295頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、37頁。
- ^ 『官報』第322号、昭和3年1月27日。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 上』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。