三宅 菊子(みやけ きくこ、1938年 - 2012年8月8日以前[1])は、日本のエッセイスト、編集者。
阿部金剛と三宅艶子の娘として東京に生まれる。弟に彫刻家の阿部鷲丸。
広津和郎の松川事件の取材に同行。1963年9月12日に最高裁は検察側による再上告を棄却し、被告人20人の無罪が確定した。1965年、元被告の佐藤一と結婚。ライターとして『週刊平凡』『平凡パンチ女性版』『an・an』『エル・ジャポン』などに執筆。『an・an』では創刊当時からのメインライターであり、その独特の『an・an』の作り手とされる[2]。
祖母・三宅やす子の代から宇野千代と親しく、1980年代後半『クロワッサン』に宇野の聞き書きを連載した。1990年編集制作事務所4Bを設立、『フィガロジャポン』『家庭画報』など女性雑誌の下請けと単行本の企画をした。
2012年8月8日、東京都千代田区の自宅で心不全のため亡くなっているところを発見された[3]。