1919年(大正8年)、次兄・広岡恵三(加島銀行、大同生命、大阪電気軌道社長)の自宅設計に設計者として招かれていた建築家ヴォーリズと運命的な出会いがあり、広岡浅子の後押しもあって結婚。ヴォーリズの主宰する近江ミッションに加わり、結婚後は近江八幡で生涯を過ごした。またヴォーリズと共に海外の宣教団体との交流をした。戦後米国の女流作家グレース・ニース・フレッチャーが満喜子に取材して書き下ろした『Bridge of Love』は米国でも広く読まれた。また昭和天皇の依頼により親王たちの家庭教師として招かれたエリザベス・ヴァイニング夫人とも交流があった。