ルイ・ゴンザレス・デ・クラビホ(スペイン語: Ruy González de Clavijo、生年未詳 - 1412年4月2日)は、カスティーリャ王国の外交官であり、作家である。1403年から1405年にかけて、クラビホはカスティーリャ国王エンリケ3世の命を受け、ティムール朝の創始者であり支配者であったティムールの許を訪問した[1]。旅行の道中に残したメモを元にして綴られた道中記『タメルラン大帝史』は1582年に出版され (Embajada a Tamorlán) 、1859年に英語に翻訳された (Narrative of the Embassy of Ruy Gonzalez de Clavijo to the Court of Timour at Samarcand AD 1403-6)。[2]
サマルカンド使節団
マドリードの貴族であり国王の侍従であったクラビホはティムール朝の使節団長であったムハンマド・アル=カーズィー (Muhammed al-Kazi) 、ドミニカの修道士アルフォンソ・パエス・デ・サンタ・マリーア (Alfonso Páez de Santa María)、近衛兵の一人ゴメス・デ・サラサール (Gómez de Salazar) その他のカスティーリャ人とともに、1403年5月21日にカディスを出航した。クラビホ一行は地中海を航海し、マヨルカ島、シチリア、ロドス島を通ってコンスタンティノープルに到着した。以降、現代の国家や都市名に従うと、クラビホは黒海を通過してトルコのトラブゾンに到着、陸路でアルメニア、イラン、トルクメニスタンを通過してウズベキスタンに到着した。彼は1404年にペルシアのテヘランを訪れている。本来の目的は冬の遊牧期間中に現代のグルジアでティムールに謁見することであったが、悪天候と船の難破により、使節団はコンスタンティノープルまで引き返すことを強いられ、1403年~1404年の冬の期間をコンスタンティノープルで過ごすこととなった。
^Ruy González de Clavijo. Embassy to Tamerlane 1403-1406.,Guy Le Strange, tr. (London: Routledge) 1928:280, quoted in Frances Wood, The Silk Road: two thousand years in the heart of Asia 2002:137.