マンハッタンに戻ってから、ファリーニャは詩人、アーティスト、フォークシンガーなどが訪れるグリニッジ・ヴィレッジの有名な酒場、ホワイト・ホース・タヴァーンの常連となり、トミー・メケムと友人になった。
この場所で成功したフォークシンガーのキャロライン・へスターと出会い、二人は18日後に結婚した。
ファリーニャはへスターの代理人を自ら任じ、ファリーニャが小説の仕事を、へスターが演奏会を行いながら世界中を旅した。1961年9月にへスターが、当時まだあまり知られていなかったボブ・ディランが何曲かでハーモニカを吹いた3枚目のアルバムをコロンビアスタジオでレコーディングする場に立ち会った。ファリーニャはディランと親友の間柄となり、二人の友情はデヴィッド・ハイドゥ著 Positively 4th Street: The Lives and Times of Joan Baez, Bob Dylan, Mimi Baez Fariña, and Richard Fariña の主要なトピックとなっている。
1962年の春、ファリーニャはヨーロッパに旅行し、そこでジョーン・バエズの10代の妹、ミミ・バエズと出会った。その後、へスターはファリーニャと離婚し、ファリーニャと17歳のミミは1963年4月に結婚した。新郎付き添い人はトマス・ピンチョンが務めた。夫妻はカリフォルニア州カーメルの小さなキャビンに引っ越し、そこでギターとアパラチアン・ダルシマーを弾きながら曲を作った。1964年のビッグサー・フォーク・フェスティヴァルで「リチャード&ミミ・ファリーナ」としてデビューし、ヴァンガード・レコードと契約した[9]。1965年にはファーストアルバム Celebrations for Grey Day (リリース時の名義はミミ&リチャード・ファリーニャ)を以前ディランのために演奏していたブルース・ラングホーンの助けを借りてレコーディングした[10]。リチャード・ファリーニャの短い人生の間に、夫妻はもう一枚のアルバム Reflections in a Crystal Wind を1965年にリリースした。3枚目のアルバム Memories は、ファリーニャの死後、1968年に発売された。
死亡時に、ファリーニャは義理の姉であるジョーン・バエズのアルバムのプロデュースを行っていた。バエズは最終的にアルバムを発売しない決断を下した。このうちの2曲はファリーニャの死後発売されたアルバムに収められ、それとは別のファリーニャがバエズの三人目の姉妹、ポーリーン・マーデンと共作した "Pack Up Your Sorrows" は1966年にシングルで発売されたが、この曲はバエズの複数のコンピレーション・アルバムにも収録されている。
Been Down So Long It Looks Like Up to Me
ファリーニャは1966年にランダムハウスから出版された小説 Been Down So Long It Looks Like Up to Me で知られている[11]。タイトルはファリー・ルイスの曲 "I Will Turn Your Money Green" ("I been down so long/It seem like up to me") からとられている。自身の大学での経験と旅行をもとにしたこの小説は1958年のアメリカ合衆国西部、キューバ革命時代のキューバおよびほとんどはコーネル大学(作中ではメンター大学)を舞台にしている。主人公は無政府主義の喜びを持って権威者を攻撃し、正しいカルマを探している途中で緑色のニーソックスの少女に欲情する薬物、フェタチーズ、レッドキャップエール、レツィーナワインを楽しむグノッソス・パパドポウリス(Gnossos Papadopoulis)である。この本は1960年代とカウンターカルチャー文学のファンの間で伝説的古典となった。後に1973年の自著『重力の虹』をファリーニャにささげたトマス・ピンチョンはファリーニャの小説は「完ぺきに調子がそろった200人のカズー奏者によるハレルヤ・コーラスがやって来るようなものだ……陽気で、身も凍るようで、セクシーで、深遠で、マニアックで、美しく、そしてとんでもないことがすべて同時に起こる」と解説している。
1968年4月27日、フェアポート・コンヴェンションは「リノ、ネバダ」("Reno, Nevada") のライブバージョンをジュディ・ダイブルとイアン・マシューズのボーカルでフランスのテレビ番組 Bouton Rouge 用に録音した。同じ年のうちにBBCセッション用にもこの曲を録音したが、この時にはダイブルの代わりにサンディ・デニーが参加し、後にアルバム『ヘイデイ』に収録された。デニーはまた、「クワイエット・ジョイズ・オブ・ブラザーフッド」("The Quiet Joys of Brotherhood") を1972年のソロアルバム『サンディ』でレコーディングした。マシューズは後に「リノ、ネバダ」と "Morgan the Pirate" を自身のアルバム If You Saw Thro' My Eyes で、 "House of Un-American Blues Activity Dream" をアルバム Tigers Will Survive で録音し、その他のファリーニャの曲がマシューズのソロアルバムや、自身のバンド、プレインソングで取り上げている。
南カリフォルニアを拠点とするロックバンド、A Fragile Tomorrow は2015年にリリースされた Make Me Over でミミ&リチャードの曲 "One Way Ticket" をカバーしている。このバージョンはジョーン・バエズおよび Indigo Girls とのコラボレーションである。A Fragile Tomorrowのドム、ショーンおよびブレンダンのケリー兄弟はリチャードのまたまたいとこ(Third Cousin) であり、バエズと共に彼の曲をカバーしたかった[13]。