リカルド・トルモ(スペイン語: Ricardo Tormo Blaya, 1952年9月7日 - 1998年12月27日)は、スペイン出身の元オートバイレーサー。バレンシア県カナルス(英語版)の自治体域にあるアヤコル集落で生まれ、8歳の時に家族と共にカナルスの中心部に移り住んだ。ロードレース世界選手権の小排気量クラスで活躍し、ワールドタイトルを2度獲得した。
経歴
スペイン選手権の50ccクラスで3度、125ccクラスでは4度のナショナルチャンピオンに輝いたトルモは、1977年にロードレース世界選手権に本格的にデビューした。
1978年にはブルタコのワークスライダーとして50ccクラスのタイトルを獲得した。1981年には今度はプライベーターとしてブルタコのマシンを駆り、50ccクラス世界チャンピオンに返り咲いた。トルモのキャリアは、チームメイトとして、あるいは好敵手としてアンヘル・ニエトと密接に関わっていた。
1983年、トルモは1984年から新たにスタートする80ccクラスに参戦するため、ホルヘ・マルチネスと共にデルビファクトリーと契約した。
迎えた1984年シーズン、開幕戦のイタリアGPではエンジントラブルによりリタイヤとなった後、チームは第2戦のハラマでのスペインGPの前にテストを計画していた。しかし、当時スペインには本格的なサーキットはハラマともうひとつカラファト・サーキットしかなく、あいにくこの時はふたつのサーキットは両方とも先約があったためにデルビがテストに使うことができなかった。やむなくチームはバルセロナのデルビファクトリーの近くにある工業団地でテストを行った。チームはこれまでも時折このエリアの公道で交通を遮断してテストを行っていたのである。
しかしながら、スペインGPの事前テストを行っていた時、交通の遮断を担当していたチームスタッフの手違いによって1台の車がテストエリアに侵入した。運悪く新しいレーシングスーツのテストをしていたトルモはこの車と激突し、右足を砕いてしまった。この事故によってトルモのレースキャリアは奪われることになった。
1994年、トルモはバレンシアで最も栄誉のあるthe Valencian Community’s High Distinction award を受賞した。また、ジャーナリストのポコ・デサンパラドスとの共著による自叙伝『Yo Ricardo. Una vida por y para la moto 』(「私はリカルド。オートバイによるオートバイのための人生」の意)を著した。
1998年12月27日、何年もの闘病生活の末、白血病により死去。
トルモの栄誉を称え、バレンシア・サーキットは正式名称をシルクイート・デ・ラ・コムニタート・バレンシアーナ・リカルド・トルモ (Circuit de la Comunitat Valenciana Ricardo Tormo ) に改名した。
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
脚注
外部リンク