ライマ・ロコモティブ・ワークス

ライマの製造銘板, 1918年

ライマ・ロコモティブ・ワークス (Lima Locomotive Works) は、アメリカ合衆国1870年代から1950年代にかけて機関車製造業を営んだ会社である。オハイオ州ライマに工場があったことから社名になった。ボルチモア&オハイオ鉄道ニッケルプレート鉄道の本線の間にあった。シェイ式蒸気機関車の製造でよく知られる。実験的機関車A-1を作った会社でもある。

歴史

シェイ式蒸気機関車

1987年、ジェームズ・アレイはシェイ式蒸気機関車製造の為、ライマ機械工場を設立した。最初のシェイは1880年に製造され、その成功が会社の基盤を作った。

1902年、火事で焼失したが、生産は継続された。時あたかも、鉄道会社はスピード競争に明け暮れている時代でライマも参入した。スチームクレーンやローターリー式除雪機等の製造も行った。

スーパーパワー

1920年代に"スーパーパワー"の概念をライマの機械技術者であるウィリアム・E・ウッダードが構想した。蒸気機関車における蒸気発生量を大幅に増やすものだった。それにより、より高出力、高速が可能になった。1922年、H-10実験機関車を製造して実証した。高圧ボイラーと広火室、加熱蒸気の使用で実現した。

衰退

1947年、総合機械会社のハミルトンと合併してライマ・ハミルトンになった。

ライマ社の最後の蒸気機関車は1949年ニッケルプレート鉄道向けの779号機車輪配置2-8-4"バークシャー"であった。同年、車輪配置4-8-6の新型機関車を発表したが押し寄せるディーゼル化の波に押され製造されることはなかった。

1951年、ライマ・ハミルトンはボールドウィンと合併した。ライマもボールドウィンも蒸気機関車製造で実績があったが、ディーゼル機関車の製造においてはアルコGEの後塵を拝した。1956年、同社は機関車製造から撤退した。

1980年にはクレーンなど建設機械の製造も終了、工場は閉鎖、売却されてしまった。

関連

参考

外部リンク

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