| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ユリウス氏族" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年1月) |
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この項目では、古代ローマの氏族について説明しています。その他の用法については「ユリウス」をご覧ください。 |
ユリウス氏族 (ユリウスしぞく、ラテン語: gens Julia) は、古代ローマの氏族の一つ。ユリウス氏族はパトリキ系の氏族の一つで自らの祖先がアエネイアスの息子ユルスであるとし、アエネイアスを通して女神ウェヌスにも連なると主張していた。王政ローマ第3代の王、トゥッルス・ホスティリウスによって滅ぼされ、ローマに移住させられたローマの隣国アルバ・ロンガの有力者の一族。ユリウス氏族の女性はユリアと呼ばれた。ユリウス氏族に属する著名な家族としてカエサル家がある。
共和政ローマ末期の独裁官ガイウス・ユリウス・カエサルもユリウス氏族に属しており、カエサルが改めた暦にもユリウス暦(さらに7月、英語ではJuly)としてこの名が使われている。さらにカエサルの跡を継いだガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス(アウグストゥス)が開始した帝政ローマにおいて、アウグストゥスから続く最初の元首の家系もユリウス氏族からユリウス=クラウディウス朝と呼ばれている。
カエサルはガリア戦争の戦後処理として、部族長達にそれまでの特権をそのまま認め、ローマ市民権を与え、そして自らの家門名ユリウスも大盤振る舞いし、クリエンテス網に組み込んだ。そのため帝政期ガリアの有力者にはユリウスの名を持つ者が多い。
一族
ユッルス家
Iullusが元々の表記であったと思われるが、アエネーイスの後に作られた執政官表ではIulusと表記されている。
カエサル家
- セクストゥス・ユリウス・カエサル:紀元前208年のシキリア担当プラエトル
- ルキウス・ユリウス(・カエサル?):紀元前183年のガリア・キサルピナ担当プラエトル
- ルキウス・ユリウス(・カエサル?):恐らく『博物誌』で触れられている紀元前166年のプラエトル・ウルバヌス
- ルキウス
- セクストゥス
- セクストゥス・ユリウス・カエサル:紀元前123年のプラエトル・ウルバヌス
- ルキウス?
- セクストゥス
- ルキウス
- ガイウス
- ガイウス・ユリウス・カエサル:紀元前92年頃のプラエトル。靴を履いていて突然死んだと言われるカエサルの父[23]
- ルキウス・ユリウス・カエサル:紀元前47年の小カト配下のプロクァエストル
- セクストゥス・ユリウス・カエサル:紀元前47年のプロクァエストル・プロ・プラエトレ。カエサルの下シリア属州で戦う
- ルキウス
- グナエウス・ユリウス(・カエサル?):紀元前47年頃のクァエストル
その他
出典
参考文献
- T. R. S. Broughton (1951). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association
- T. R. S. Broughton (1952). The Magistrates of the Roman Republic Vol.2. American Philological Association