メラブ・ドバリシビリ |
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YouTube |
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チャンネル |
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活動期間 |
2016年4月24日 - |
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登録者数 |
11万人 |
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総再生回数 |
15,195,852回 |
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登録者100,000人
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2024年
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チャンネル登録者数・総再生回数は 2024年10月時点。 |
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メラブ・ドバリシビリ(グルジア語: მერაბ დვალიშვილი、英語: Merab Dvalishvili、1991年1月10日 - )は、ジョージアの男性総合格闘家。トビリシ出身。アメリカ合衆国在住。セラ・ロンゴ・ファイトチーム所属。現UFC世界バンタム級王者[2]。UFCパウンド・フォー・パウンド・ランキング7位。元ROCバンタム級王者。
来歴
グルジア・ソビエト社会主義共和国で生まれ、独立したグルジア(後のジョージア)で育った。6歳から柔道を始め、その後、ジョージアの伝統レスリングであるチダオバと、伝統総合武術のフリドリを始めた。しかし、柔道がルール改定で足に触れることが禁止になったため、双手刈りが得意だったドバリシビリはフィールドを変えることを決め、2008年頃からレスリングとサンボを始めた。
総合格闘技
SHERDOGなどの総合格闘技戦績サイトではドバリシビリの戦績は2014年のアメリカ合衆国での試合からしか記載されていないが、ドバリシビリ本人はアメリカ合衆国に移住する前にジョージアで10試合ほど試合を行っていると語っている[3]。
徴兵期間を終え退役後、21歳の時に、UFCとの契約を目指すためアメリカ合衆国への移住を決意し、ニューヨーク州のセラ・ロンゴ・ファイトチームでのトレーニングを開始した[4]。2017年2月にRing of Combatバンタム級王座を獲得。
UFC
2017年12月9日、UFC初出場となったUFC Fight Night: Swanson vs. Ortegaでフランキー・サエンズと対戦し、1-2の判定負け。なお、海外のMMAメディアサイトの採点では14人中10人の記者がドバリシビリの勝利を支持した[5]。
2018年4月21日、UFC Fight Night: Barboza vs. Leeでリッキー・シモンと対戦。優勢に試合を進めたが、ギロチンチョークで試合終了時に失神していたと判断され逆転のテクニカル一本負け。試合に敗れはしたものの、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[6]。試合後、ドバリシビリ陣営は失神していなかったと主張して試合結果の変更を求めニュージャージー州アスレチック・コントロール・ボード(NJSACB)に提訴したが棄却された[7]。
2019年、世界コンバットサンボ選手権の68キロ級で準優勝した。
2020年8月15日、UFC 252でバンタム級ランキング12位のジョン・ドッドソンと対戦し、3-0の判定勝ち[8]。
2021年5月1日、UFC on ESPN: Reyes vs. Procházkaでバンタム級ランキング13位のコーディー・スタマンと対戦し、3-0の判定勝ち[9]。
2021年9月25日、UFC 266でバンタム級ランキング6位のマルロン・モラエスと対戦。1Rに左フックでダウンを奪われストップ寸前まで追い詰められるも巻き返し、2R序盤にテイクダウンからのパウンドでTKO勝ち。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した[10]。
2022年8月20日、UFC 278でバンタム級ランキング3位の元UFC世界フェザー級王者ジョゼ・アルドと対戦し、3-0の判定勝ち[11]。
2023年3月11日、UFC Fight Night: Yan vs. Dvalishviliでバンタム級ランキング2位の元UFC世界バンタム級王者ピョートル・ヤンと対戦。1試合でのUFC記録となる49度のテイクダウンを仕掛けると、その内11度のテイクダウンを成功させ、そのままスタミナ切れを起こすこともなく終始優勢に試合を進め、ジャッジ3者全員が50-45を付ける完勝で3-0の5R判定勝ち[12]。
2024年2月17日、UFC 298でバンタム級ランキング3位の元UFC世界二階級制覇王者ヘンリー・セフードと対戦。レスリングのオリンピック金メダリストのセフードから5度のテイクダウンを奪うなど優勢に試合を進め、試合中に観戦に来ていたケージサイドのマーク・ザッカーバーグに喋りかけるなどの余裕を見せ3-0の判定勝ち。10連勝となった[13][14]。
UFC世界王座獲得
2024年9月14日、UFC 306のUFC世界バンタム級タイトルマッチで王者ショーン・オマリーに挑戦。6度のテイクダウンを奪い、グラウンドのポジショニングで終始優勢に立ち、試合終盤にボディへの前蹴りを効かされたものの3-0の5R判定勝ち。UFC世界フェザー級王者イリア・トプリアに続いてジョージア人史上2人目となるUFC王座獲得に成功した[15]。
人物・エピソード
- UFC歴代6位タイとなるUFC連勝記録「11連勝」、UFCバンタム級史上最多連勝記録「10連勝」を保持している。また、ジョルジュ・サンピエールの「90回」に次いでUFC歴代2位となるテイクダウン奪取記録「85回」、UFCバンタム級史上最多テイクダウン奪取記録「72回」、UFCバンタム級史上最多合計打撃数「1950発」を保持している[16]。
- セラ・ロンゴ・ファイトチームのチームメイトであるアルジャメイン・スターリングとは親友であるが、ドバリシビリはスターリングがUFC世界バンタム級王者であった時に親友であることを理由に対戦しないことを公言し、さらにスターリングがショーン・オマリーに敗北して王座から陥落した際にも、新王者のオマリーに挑戦せずにオマリーとスターリングの即時再戦が行われるまで待つと発言したことで、UFCのダナ・ホワイトCEOから「私はそれが嫌いだ。そしてそういう考え方であるならなぜこのスポーツに参加したんだ?『私達は友達なんだ。王座もいらない。タイトルマッチすらしたくない』とかなんとか言って」「友情は関係ないんだ。ここは誰が世界で一番なのかを決める場所なんだ。そして君が世界で一番になりたくないのであれば、ここは君にふさわしい場所ではない」と苦言を呈された[17]。
- ピョートル・ヤン戦前に母国ジョージアの国旗のタトゥーを左胸に入れている。これは、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、UFCがファイター達に入場時や試合後の国旗使用を禁止(後に撤回)し、また、ドバリシビリがジョージアの国旗のネックレスを着用していた際にも、UFCから着用を禁止されたために入れたものである。ドバリシビリは「私は母国を代表するために戦い始めた。それが一番のモチベーションなんだ。だから国旗のタトゥーを入れた」と語っている[18]。
- 2013年にアメリカ合衆国へ移住後は、総合格闘技のトレーニングをする傍ら建設作業員として働き、総合格闘家となりUFCに参戦した後も、2020年のジョン・ドッドソン戦まで約7年間フルタイムで働き続けた[19]。
- 2024年3月、アメリカ合衆国の市民権を取得した[20]。
戦績
総合格闘技 戦績
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22 試合
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(T)KO
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一本
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判定
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その他
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引き分け
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無効試合
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18 勝
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3
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1
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14
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0
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0
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0
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4 敗
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0
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1
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3
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0
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獲得タイトル
表彰
- UFC ファイト・オブ・ザ・ナイト(1回)
- UFC パフォーマンス・オブ・ザ・ナイト(1回)
脚注
関連項目
外部リンク