ミハウ・ジェヴワコフ (ポーランド語: Michał Żewłakow, 1976年4月22日 - )は、ポーランド・マゾフシェ県ワルシャワ出身の元サッカー選手。元ポーランド代表。ポジションはDF(左サイドバック)。
来歴
クラブ
ポーランドの首都ワルシャワに生まれた。ポロニア・ワルシャワの下部組織に8年間在籍し、1993-94シーズンにトップチームに昇格した。1996-97シーズンには守備の要として33試合に出場し、1997-98シーズンも29試合に出場して2得点を挙げた。1998年10月にはKSKベフェレンにレンタル移籍し、1998-99シーズンは24試合に出場した。1999年夏には双子の弟マルチンとともにREムスクロンに移籍し、KSKベフェレンには合わせて移籍金48万5000ユーロが支払われた。中心選手のひとりとなり、2001-02シーズンのベルギーカップでは決勝進出に貢献した。
2002年夏にはウーゴ・ブルース監督の後を追うようにしてRSCアンデルレヒトに移籍し、2003-04シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグデビューを果たすとともに、クラブ・ブルッヘを抑えてリーグタイトルを獲得した。2004-05シーズンは控えに降格したが、2005-06シーズンは再びレギュラーに戻り、2度目のリーグ優勝を果たした。2006年夏、フリートランスファーでギリシャ・スーパーリーグのオリンピアコスFCに移籍した。2009-10シーズン終了後にオリンピアコスFCから示された新契約の待遇面に不満があったため、ジェヴワコフは契約更新をためらった。2010年6月16日、フリートランスファーでトルコ・シュペルリガのMKEアンカラギュジュに移籍した[1]。
代表
1999年、タイで行われたニュージーランド戦でポーランド代表デビューした。2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では左サイドバックのレギュラーとして起用され、予選10試合すべてに出場したチーム唯一の選手であった。2002年の2002 FIFAワールドカップ本大会では2試合に出場し、UEFA EURO 2004予選にもレギュラーとして出場した。2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選でも継続的に出場し、ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップ本大会では3試合に出場した。
双子の弟のマルチン・ジェヴワコフもサッカー選手であり、フォワードとしてAPOELニコシアなどでプレーしている。2000年2月23日のフランス戦ではポーランド代表史上初めて双子選手が揃って先発出場し、2001年5月28日の2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選、アルメニア選では二人揃って得点を挙げた。2002 FIFAワールドカップにも二人揃って選出されている。
2010年10月12日、エクアドルとの親善試合で代表101キャップ目を刻み、グジェゴシ・ラトーの100キャップを抜いてポーランド代表の最多出場記録を更新した[2]。2011年3月に代表引退を表明し[3]、3月29日のギリシャとの試合を最後に代表から退いた。この試合はかつて所属したオリンピアコスFCの本拠地であるスタディオ・ヨルギオス・カライスカキスで行われ、大歓声に見守られて代表を後にした[4]。
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 102試合 3得点(1999年-2011年)[5]
ポーランド代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
1999 |
1 |
0
|
2000 |
10 |
0
|
2001 |
10 |
1
|
2002 |
9 |
0
|
2003 |
6 |
0
|
2004 |
8 |
0
|
2005 |
8 |
0
|
2006 |
11 |
0
|
2007 |
11 |
1
|
2008 |
10 |
1
|
2009 |
9 |
0
|
2010 |
8 |
0
|
2011 |
1 |
0
|
通算 |
102 |
3
|
得点
タイトル
- RSCアンデルレヒト
- オリンピアコスFC
- レギア・ワルシャワ
脚注
外部リンク