1989年、ミッシーは4人組女性グループ「シスタ(Sista)」を結成する。経緯は不明だが、ジョデシィのバックステージに潜り込み、パフォーマンスを披露することができた。それを見て気に入ったディヴァンテ・スウィングが彼女達をエレクトラに紹介し、シスタとしてのデビューとアルバム5枚制作できる契約が決定する。シングル「Brand New」がリリースされ、アルバム制作が順調に進んでいた。しかし、ディヴァンテとレーベル側にトラブルが生じ、アルバムはお蔵入りになる。結局、シスタまでも活動を終了してしまい、一気に振り出しへと戻される。ちなみにシスタとして世に出た作品は「Brand New」「It's Alright」のみ。しかし、ミッシーの楽曲を聴いたフェイス・エヴァンスが彼女の才能を見込んで、彼女をソングライターとして起用するよう働きかけ、702の「Steelo」を作詞する。その後、SWV、アディーナ・ハワード、トータル、ジェニュワイン、アリーヤなどに楽曲を提供していくようになる。そして、現在の相棒ともいえるティンバランドと出会う。彼とはディバンテの弟子だった頃に知り合い、1996年にアリーヤのセカンドアルバム『ワン・イン・ナ・ミリオン(One In A Million)』をティンバランドとミッシーが共に手掛ける。その革命的なサウンドは結果的に2人を大ブレイクさせる。ミッシーはラッパーとして、ティンバランドはプロデューサーとしてそれぞれのスターの道を歩み始める。
デビュー後
1997年遂にシングル「The Rain(Supa Dupa Fly)」でデビューを果たす。アン・ピーブルズの「I Can Stand The Rain」をフックに引用したこの曲はデビューシングルにして大ヒットを記録し、一気にミッシー・エリオットという名が知られることになる。また、ヒットシングル「Beep Me 911」、「Hit Em Wit Da Hee」、「Sock It To Me」とこの曲「The Rain(Supa Duva Fly)」が収録されたデビューアルバム『Supa Dupa Fly』は全米アルバムチャートで3位、R&Bアルバムチャートでは見事1位を記録する[7]。
1999年、シングル「She's A Bitch」、「All N My Grill」、「Hot Boyz」が収録された2ndアルバム『Da Real World』がリリースされる。このアルバムは3000年の音をテーマに作られている。中でも「Hot Boyz」は全米シングルチャートで5位、R&Bシングルチャートで1位を記録し、この年のクラブヒットチューンとなる[8]。同様に2ndアルバムも全米チャート10位、R&Bアルバムチャートで1位を記録し、大ヒットさせる[7]。
2001年、シングル「Get Ur Freak On」、「One Minute Man」、「Take Away」、「4 My People」が収録された3rdアルバム『Miss E...So Addictive』がリリースされる。このアルバムの代表曲「Get Ur Freak On」は日本人男性が「これからみんなでメチャクチャ踊って騒ごう騒ごう」と日本語で語るイントロから始まり、日本でも話題をさらった。3rdアルバムは全米アルバムチャート2位、R&Bアルバムチャートで1位を記録する[7]。
2003年、シングル「Pass That Dutch」、「I'm Really Hot」が収録された5thアルバム『This Is Not A Test』がリリースされる。レゲエやダンスホールなどのジャンルを上手くヒップホップとR&Bにミックスさせた本作は全米アルバムチャートで13位、R&Bアルバムチャートで3位を記録する[11]。
2005年、シングル「Lose Control」、「Teary Eyed」、「We Run This」が収録された6thアルバム『The Cookbook』がリリースされ、全米アルバムチャートで2位、R&Bアルバムチャートで2位をまたもや大ヒットを記録する[12]。