ボビー・ハンフリー(Bobbi Humphrey、1950年4月25日 - )は、アフリカ系アメリカ人のジャズ・フルート奏者。曲によってはボーカルも兼任している。
来歴
テキサス州マーリンで生まれ、ダラスで育った[1]。彼女は高校時代よりフルートを始め、南メソジスト大学に在学していた頃、同校で行われたタレント・コンテストを観ていたディジー・ガレスピーに見初められ、ニューヨーク進出を勧められた[1]。そして、1971年6月にニューヨークへ移住し、レコーディング契約を探して、アトランティック・レコードなどから断られた後ブルーノート・レコードとの契約を得た[2]。ステージ・ネームの「ボビー」は、本名の「バーバラ」を短縮したもので、当時ブルーノートのプロデューサーであったジョージ・バトラーの案による[2]。
ハンフリーは1971年9月17日から18日、リー・モーガンのリーダー・セッションに参加し、それから約2週間後には、モーガンらをサイドマンに迎えて自身のアルバム『フルート・イン』を録音した[3]。ハンフリーの初期2作はバトラーのプロデュースによる正統派ジャズ寄りの作品だったが、その後、バトラーの秘書からドナルド・バードのアルバム『ブラック・バード』を聴かされ感銘を受けたのを機に、同作にも参加していたマイゼル兄弟と組んで、よりファンク色の強い音楽性に移行した[2]。
1974年のアルバム『ブラックス・アンド・ブルース』では、初めてボーカルも兼任し[4]、同作はBillboard 200で84位を記録[5]。そして、アルバム『サテン・ドール』(1974年)は、翌1975年にBillboard 200で30位、『ビルボード』のR&Bアルバム・チャートで5位を記録するヒット作となった[5]。しかし、セールスが好調であるにもかかわらず、印税の前払いも満足に支払われなかったことから、ハンフリーはブルーノートに不満を抱くようになり、最終的にエピック・レコードへ移籍した[2]。また、ハンフリーは以前より親交のあったスティーヴィー・ワンダーのアルバム『キー・オブ・ライフ』(1976年)収録曲「アナザー・スター」にゲスト参加しており、その後、ワンダーはハンフリーのアルバム『フリースタイル』(1978年)収録曲「ホームメイド・ジャム」のレコーディングに参加した[2]。エピックからは合計3枚のアルバムをリリースし、1980年代にはライブ活動は継続していたがアルバム制作は途絶え、唯一1980年代末期にマラコ・レコードから『シティ・ビート』を発表するにとどまった[1]。
1994年、自身のレーベル「パラダイス・サウンズ」からアルバム『Passion Flute』を発表した[1]。2002年には、以前よりハンフリーの曲をサンプリングしてきたラッパー、コモンのアルバム『エレクトリック・サーカス』にゲスト参加した[2]。
ディスコグラフィ
リーダー・アルバム
- 『フルート・イン』 - Flute-in(1971年、ブルーノート)
- 『ディグ・ジス』 - Dig This!(1972年、ブルーノート)
- 『ブラックス・アンド・ブルース』 - Blacks and Blues(1974年、ブルーノート)
- 『ボビー・ハンフリー・ライヴ・アット・モントルー』 - Live in Montreux(1974年、ブルーノート)
- 『サテン・ドール』 - Satin Doll(1974年、ブルーノート)
- 『ファンシー・ダンサー』 - Fancy Dancer(1975年、ブルーノート)
- 『テイラー・メイド』 - Tailor Made(1977年、エピック)
- 『フリースタイル』 - Freestyle(1978年、エピック)
- 『グッド・ライフ』 The Good Life(1979年、エピック)
- 『シティ・ビート』 - City Beat(1988年、マラコ)
- Passion Flute(1994年、パラダイス・サウンズ)
主なセッション参加作品
脚注
外部リンク