ホープ軒(ホープけん)は、東京都渋谷区千駄ヶ谷に店舗を構えるラーメン店「ラーメンの店 ホープ軒」、およびそれを運営する企業。東京都中野区野方に支店「環七丸山店」をもつ。
沿革
牛久保英昭は、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲後に岐阜県に引っ越し、中学卒業後、パン職人などを目指したが、最終的に東京でラーメン屋台をやることを選ぶ[2]。赤羽でラーメン屋台を始めるが、屋台募集の広告を見て、現在の吉祥寺ホープ軒本舗難波二三男から屋台を借りラーメン屋台を始める[3][注釈 1]。高田馬場を振り出しに銀座、新橋を経て内幸町の日本放送協会前に屋台を構える[2]。昼夜屋台を開け約500杯の売り上げを記録したこともあるという[2]。量をさばくためにプロパンガスを導入、麺や調理器具をトラックで運んだ[2]。1962年(昭和37年)頃には背脂を入れる現在のスープの形を完成させる[2]。
1975年(昭和50年)、現在地の千駄ヶ谷に店を構える[2]。メインの客であるタクシー運転手が素早く食べられるように、1階は立食式にした[2]。牛久保が屋台をやめ、店舗を構えた際に、後に繁盛した渋谷区恵比寿の香月や、らーめん弁慶の店主となる人物らが手伝っていた屋台から独立した[3][4][5]。また土佐っ子もここから独立したとされる[5]。1980年(昭和55年)頃には漫画家の横山泰三がホープ軒のシンボルマークを描いた[2]。
挿話
- かつては、東京都港区南麻布にも支店(古川橋店)を持っていたが、現在閉店[3]。豚骨ベース醤油の「背脂チャッチャ系ラーメン」[注釈 2]の元祖の一つとされる[5][7][8]。
- 社長は牛久保英昭[2]。
- 似た名前のラーメンチェーン店「野方ホープ」とは全くの別会社。「ホープ軒本舗」は独立前に屋台を貸してもらっていた関係。しかし南麻布にあった支店が野方に移転したため、関係が無いにもかかわらず、店舗名から誤認が続く状態にある[要出典]。
脚注
注釈
- ^ 故にホープ軒本舗直系ではないものの、提供されるラーメンのルーツはホープ軒本舗にあるといえる。
- ^ 背油をかける動作からこのような名前が付いたとされる[6]。
出典
関連項目
外部リンク
座標: 北緯35度40分35.6秒 東経139度42分44.8秒 / 北緯35.676556度 東経139.712444度 / 35.676556; 139.712444